ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

まず百舌鳥古墳群3

2019年06月30日 21時13分41秒 | ウォーキング

御陵を見ますと、
うっそうとした緑に覆われていますねえ。
お墓というよりも大きな森が
そこにあるようです。

ブラタモリでも言ってましたが、
古墳というのはもともとこんな
森のようにしていたのではありません。
石を組んで埴輪を並べて、
いかにも人の人工物のように
していたそうです。

最近行ったところで、
そんな古墳を作っていたところがありました。
神戸の垂水の「五色塚古墳」や







馬見丘陵公園の「ナガレヤマ古墳」。



あんな感じで、古墳は街中に
君臨していました。
今の古墳とは見た目が全く
異なっていたんですねえ。

それともう一つ、古墳の形なんですが、
今は前方後円墳、方墳、円墳と
もう少し詳しく分ければ
帆立貝型墳がありますねえ。

ここの仁徳天皇陵は「前方後円墳」ですねえ。



木々に囲まれててわからないのですが、
遠くや航空写真で見るとそんな形ですね。

拝所はそんな前方の下にあるのですが、
なんかそんな見た目と
形の名前が一致しませんねえ。

いつも後円が上の方になるように
描かれていることが多く、
前円後方墳の方がしっくりきませんか?

これら古墳の形の名称は
最近つけられたようですが、
なんか少し違和感を感じたりする
doironなのでした。

仁徳天皇陵でそんなことを考えた後は、
またまた未踏の古墳をたずねていきましょう。
次は仁徳陵の西横にある
「銅亀山古墳」です。

仁徳天皇陵に沿って西向いて歩いていきますと、



前方の西の端に出ていきます。

何やらいわくありそうな
「朝日寺」を少し北に曲がると、



左奥の方に古墳らしき小山が見えています。



解説版もありますねえ。

この銅亀山古墳は百舌鳥古墳群には
珍しい方墳で、仁徳天皇陵の陪冢
なんだそうです。
う~ん、なぜ前回ここを見逃したのかなあ。
こんな立派な石の案内板も
立っていたのになあ。

それとも近づいてきた大仙公園が
気になってたのかもしれません。

この古墳は近づけないけど
堀をめぐらした古墳で、
昔の資料では円墳といわれたりも
したそうです。

古墳の名前から見ても
円墳のような気がしますねえ。

さあこれで未踏の2基の古墳は見つけました。
あと残りは2基ですねえ。
大仙公園の中を抜けて
確認しに行きましょう。

公園に入っていきますと、
そこにはいろいろと古墳が
並んでいますよ。



これが仁徳天皇陵の陪冢で
円墳の狐山古墳です。
残念ながらこれは世界遺産の
対象ではありません。



でも面白かったのは、
この「キツネ」山に対抗して、
すぐ近くに「たぬきこうじ」
という道が作られていましたよ。



狸の人形がいっぱい
置かれていましたねえ。
公園関係者のいきな計らいですかねえ。

そしてこれも陪冢で帆立型古墳の
「竜佐山古墳」です。



亀、狐、狸ときてここで竜ですねえ。
この古墳は御陵通の拡張の際に
堀が見つかるなど開発時に
いろいろと道路の設計に
影響したそうです。

この古墳は世界遺産の対象です。
そしてその先にあったのが

孫大夫山古墳。



ここへきて人の名前が
古墳名になっています。
というのもこの古墳は、
明治初年に南孫大夫という庄屋から
国に寄贈されたものです。

墳丘は陪冢として宮内庁の管轄で、
堀は堺市の管轄です。
この度の世界遺産登録に先立って
堺市がこの古墳の堀を調査し、
前方部の位置と堀の範囲を確定させた古墳です。

後円部の形がよく保存され、
前方部も公園開発時によく復活された古墳で、
ここもまた世界遺産の
対象となっている帆立貝型の古墳です。

この大仙公園内にはこうして
いろんな古墳も残されています。
公園の南の方にもいくつか
残っているようです。

堺シティマラソンで何度か来た公園を
てくてくと歩いて次の古墳に
向かいましょう。



続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿