ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

西国三十三所 波に揺られて2

2020年08月13日 21時18分21秒 | 

連絡船に乗っているのは、
高齢者のグループや
男女二人連れがほとんどですね。



若い男の子のグループが
ここにというのはちょっと
不似合いですもんね。

船から下りて、すこし商店の
あるところを過ぎればすぐに、
入山料を支払います。

そうして一番で納経してくれるところまで
階段を上ってゆきました。
この階段は165段
祈りの石段と名付けられています。



ぜえぜえと飛び込んで
真っ先に朱印をもらってから、
75分間を効率よく
過ごそうという魂胆です。

これがねえ、結構きつかったな。

こんなに急な階段が続けば、
高齢者は大変だろうなあ。
doironの父母も頑張って
登っていたんでしょうね。

ぜえぜえと登ってゆきますと、
少し後ろに年齢のよく似た
おじさんが続いています。

息遣いまで聞こえてきそうです。
でもまあ頑張りましたよ。
納経所についたのは一番でした。
あっという間に納経をしてもらい、
さあでは島内を見学して回りましょう。



まずは5重の石塔です。
台石の形や傘石のそりの形から
鎌倉時代のものと推定されるそうです。
日本の7つある重要文化財の
5重の石塔のひとつだそうです。

これまでの間に豪雨で
琵琶湖に水没したそうですが、
相輪の下部がまだ
見つかっていないそうです。

その石塔の横の階段を上ってゆくと、
三重塔に出ます。



1487年に作られたのですが落雷で焼失。
でも設計図が見つかって、
平成12年に再建されたそうです。

そしてこの三重塔の横には、
樹齢400年といわれる
「モチの木」が見事に育っています。



何の変哲もない琵琶湖上の島に
様々な歴史が育っているんですねえ。

それにしてもこんな本堂とあわせて、



いよいよこんな島に来たんやなあ
という感が強くなりますね。

「神を斎く(いつく)」島が
「つくぶしま」に転じ、
「竹生島」になったといわれています。

そんな歴史の中に浮かんでいるんだって
気になりますね。

そしてこの島には宝厳寺のほかに
こんな舟廊下を通って行くと、





都久夫須麻神社(竹生島神社)も
残っています。
関白秀吉が作った建物を
ここに寄進したものだそうです。

ここにはねえ狩野永徳や光信が
草木花を描いたという
天井絵なんかも残っているそうです。

ああ、ありがたやですなあ。

そしてここが国宝の宝厳寺の
「唐門」です。
大阪城の一部が豊国廟極楽門に移築、
そしてそれがその後この島に
渡ってきたそうです。

秀吉の歴史とシンクロする建物ですねえ。

そうそう眺めのいい場所には
八大竜王拝所があって、



そこではかわらけな投げができるそうです。
こんなところと写真を
撮ろうと思ったのですが、
何となく担当者の目が鋭く
気後れしてしまいました。

え~この島の旧跡はこんな感じです。

さてフェリー乗り場まで
降りて来たのですが、
まだすこし時間がありますね。



売店で近江牛まんを買い



ベンチで一休み。



牛まんをかぶりながら
のんびりしていると、
上の方から乗客たちが
どんどん降りてきました。

コロナ対策で、みんなマスクをして
重装備です。
自分のためにも、周りの人のためにも
かかせませんね。

帰りのフェリーに乗り
予定通り長浜へ戻りました。

もし電車なんかで来たら、
ここから今津の方に帰る
というのも一つの手ですね。

長浜の駐車場で泊っている車の
ナンバーを見たら、
京都、兵庫、名古屋、静岡など様々。
大阪ナンバーもなにわナンバーも
いましたねえ。

西国三十三所ですから、
集めている人は必ず来ますねえ。
泉ナンバーで目立つかなあ
と最初は心配していたのですが、
何のことはないですね。
竹生島でコロナ撲滅お参りですね。

早くそんな心配もしなくていいように
なればいいなあと思った
doironの西国旅だったのでした。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿