ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

雪の高野を訪ねて7

2021年02月10日 20時48分34秒 | 

高野の奥の院に向かう参道には、
お墓や供養塔が並んでいます。
でも人が通らない道は
雪が積もっていますので、
メイン通りをどんどん進んでいきます。

あ、入り口の手洗い場は
しずくが凍り付いていますねえ。



この参道は中の橋から歩くことが多く、
一の橋からすべて歩くことは少ないです。
なので一の橋から中の橋の参道までは
これまであまり目にすることもなかったのですが、
ここにも様々な人の供養塔がありますよ。

今話題の明智光秀のほか
石田三成、武田信玄等々。

でもこんな供養塔なんかは
誰が管理してるんでしょう。
ご子息の方々なんですかねえ。

でも、あまりお墓や供養塔の写真は
載せないでおきましょう。

みんなそれとなくきれいにたたずんでいます。

これは、司馬遼太郎の文学碑です、
これは写真もいいですよねえ。

こんな感じです。



山の端を参道はどんどん進んでゆきます。

 


あ、南海電車の創業者の墓がありましたよ。
感謝して得きます。ありがとう

 


二キロくらいあるのかなあ。
この道沿いには大きな杉の木が
たくさん立っています。
供養のために寄付したという杉が
どんどん育って今はもう老杉の
林になっていますねえ。

戦争時も高野山に空襲はなかったんですかねえ。

アメリカ人はここの意味を
よく知っていたんでしょうか。

きょろきょろしながら歩いて行くと、
奥の方にお堂が見えてきました。

 


ここからが聖地中の聖地になるわけですね。
この橋から先はカメラも使えません。

以前四国のお礼参りに来た時も、
ここからの様子を絵にしましたね。



たくさん人々のいるところを、
人を省いて絵にしたのですが
今はもう写真でも人の姿はありませんね。

ではここからさらに歩いて、
お堂の裏にある弘法大師御廟に向かいましょう。

お堂の周りの道からさらに20mくらい
向こうの御廟に大使は今も
座っておられるんですねえ。

朝6時と10時30分に、
大師に食事が出されるそうです。
熱心に祈っておられる信者の姿が、
雪の中というのに熱い感じでした。

そこからさらに回って
地下牢に入っていきますと、
もっと大師に近い所に立てるのですが、
残念ながら今はコロナのおかげで
入場禁止になっています。
残念ですねえ。
またおちついたらここは
是非行ってみたいところです。

再び参道を戻っていきます。

中の橋のところまで来たら
バス停があるので、ここで
お土産を買った後バスに乗って
今回の旅を終えることにしましょう。

では何かお土産を見に行こうと、
近くのお店に行くと、
あれ~あまりお土産がありません。

一軒なんか中にはいろうとすると、
出てきたお客さんが
「ここにはお土産はないですよ」
と言ってますよ。

ああ、客が少ないので、
今は休止しているんでしょうねえ。
これはダメだと判断し、
ではここから先ほどの
千手院あたりまで戻りましょう。

もうここから帰ろうと思っていたので、
雪をよけながら歩道をすこし速足で歩きます。

携帯を取り出して確認してみると、
もう今日は1万5千歩くらいは歩いてるようです。

その後ようやくお土産屋さんに入り、
ごま豆腐やパン類を買い
3000円のお土産券を
効率よく使い買い物です。
ああ、「高野の休日」のサービス券を
しっかり消費しましたね。

さあではここからバスに乗り、
雪の高野を後にしてゆきましょう。



高野山駅に到着し、
今度はこんな切符で自宅を目指して
帰ってゆきます。



橋本までの電車はガラガラで
気持ち良くてねえ。

山道に揺られながら今度は仏教の世界から、
自分の夢の世界へ旅立ちですね。

高野山で、気持ちいい雪の景色と
人々の祈りに出会いました。

南海電車さん、
とてもありがとうございました。

 



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