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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野街道 紀ノ川を越えて1

2014年04月05日 21時06分19秒 | ウォーキング

前回初めて和歌山県に入った熊野街道歩き。
熊野までまだまだ先は長いので
頑張って歩きましょう。
今回歩いたのは前回の続き、
紀伊から紀ノ川を越えて布施屋までです。

では出発します。

紀伊駅に着いたのは10時20分頃。
天気はうすーく雲の出ている
絶好の歩き日和です。

駅を出て、



前回熊野街道から別れて
駅に向かった県道7号を
こんな看板に突っ込みを入れながら



前回とは逆に東に向かいます。

歩道がないので歩きにくい道です。

途中の田んぼには
一面紫になるほどの
ホトケノザが満開でした。



一面レンゲとかの田んぼはよく見ますが
こんな田んぼは初めて見ました。
ホトケノザにも肥料効果はあるのでしょうか。

10分ほどで分岐点に到着します。

ここでは分岐の反対側から
熊野に向かう旅人を見送るように
地蔵さんが座っておられます。



そんな地蔵さんに見送られて
さていよいよ街道部分に入っていきます。



これが地蔵さんから見える景色。

今回の旅の手引きとなったのは、
和歌山県などが出している街道マップと
和歌山絵本の会が発行している
「いっしょに歩こう熊野古道」という冊子です。



街道マップは和歌山県庁から取り寄せました。

冊子は和泉市の図書館で見つけたものです。

和歌山まで行って図書館とかで
資料を探そうと思っていたのですが、
熊野街道つながりということで
和泉市にも結構いろんな資料がありました。

一番手に入れたかったのは、
「熊野参詣道王子社及び関連文化財学術調査報告書」。

2012年に和歌山県の教育委員会が作成した
137ページにも及ぶ報告書です。

それもネットで探してプリントアウトすることができました。

おいおい読んでいこうと思ってます。

さてここから街道は
しばらく紀ノ川が運んだ
豊かな土壌が堆積してできた
平坦地を進みます。

田んぼのあぜ道や村中を
くねくね曲がった道を行きますが、
でもちゃんと分岐ごとに
導き石が埋められているので大丈夫です。



これが、導き石。

歩きだして10分もしないうちに、
熊野ブルーで彩色された案内板が現れます。



ここが川辺王子です。

前回歩いた大阪と和歌山の境界に架かっていた
「境橋」から数えて4番目の橋付近にあったことから
「四橋王子」と呼ばれたこともあったようです。

石にはちゃんと八咫烏が刻まれていました。



ここにはdoironでさえくぐるときには
頭を下げないといけないほどの
小さな鳥居があります。



形式はおなじみの明神鳥居です。

ふたつの鳥居をくぐって参拝をすると、
そこには石燈籠と数基の小さな五輪塔が祀られていました。



王子を出ると田んぼの中の細い道を進みます。



と、ふと左を見ますと、
大きな樹木とその根元に
ちょっと珍しい土の地蔵堂が見えましたので行ってみました。



樹木はクロガネモチでした。

紀伊の駅の近くにあった巨木と同じです。

そして土の地蔵堂の中を覗いて見ますと、



中におられたのは
そのお姿からして「阿弥陀如来」。

しかも立ち姿であることから
浄土真宗の影響を受けていると推察されます。

浄土真宗は「末法思想」に立脚するもので、
その末法思想こそが
多くの人々を厭世的に熊野へ駆り立てた
要因の一つであるといわれてます。

街道から少し離れていますが、
そんな熊野へ通じる流れを組む
土の祠なんだろうと思ったdoironなのでした。

木陰でしばしいにしえの空気に触れた後、
再び街道に戻って歩きはじめます。



田んぼの縁には、
ホトケノザ、オオイヌノフグリ、
ハコベ、タネツケバナなどが競って咲いていました。
春ですねえ~

そうそう、そういえばこのあたりは
「ニホンタンポポ」が多い所
冊子に書かれてありました。

確認すると、確かに外来種の
西洋タンポポのように
矢印部分の総苞外片が反り返っておりません。



きっと在来種のカンサイタンポポでしょうね。

野の花と話をしながら歩く
のどかな春の田んぼ道はまだまだ続きます。


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