ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼高野山お礼参り4

2017年08月03日 21時05分26秒 | ウォーキング

案内があったのは、数珠もそうです。

一回四国のツアーに行くたびに
こういう数珠の珠が



おまけに配られるのですが、
これをつなぎ合わせて
数珠を作ってくれるというのも
あったのですが、これもねえ
有料でちょっと高いので
やめときました。

また何かの機会に作れたらいいかなあ
ということにしときましょう。

さてそんな食事や掛け軸、
数珠製造申し込みの後は
金剛峯寺にお参りに行きます。



この寺は弘法大師がひらいた
日本仏教の聖地といわれています。

金剛峯寺の中でも最も古い
山門を超え中に入っていきますと、



本殿の屋根檜皮葺で、
その上に天水桶が置かれています。



中に入っていき、境内を歩いていきます。

ああ、そういえばこのお寺には
生まれて初めての写経をしに
来たことがありますねえ。
般若心経がなにかもわからなかったころでしたが、
とっても満ち足りたのを思い出します。

寺の建物の中の広い部屋に案内され、
そこでお茶を飲みながら、
四国も何回か一緒に回った
先達のお話なんかを聞きます。

この先達は高野山の参与という
名前をかたってはりましたねえ。

ここが若い時の職場だったのかなあ。
80歳でも非常に元気です。

こうして高野山の主なところは
見て歩きました。
これで山の上のお参りは
終わりなんですが、
今回はもう一つ参るところがあります。

それが慈尊院です。

山のふもとの紀ノ川の近くにあります。

昔、弘法大師のお母さんが
高野山に息子を訪ねてこられました。
しかし高野山は女人禁制だったので
入ることはできません。



そこでこの慈尊院に来た時に、
やまから弘法大師が
降りてこられたそうです。

多い時に月に9度降りてこられたので
この地域の地名が
「九度山」という名になったすです。



この慈尊院というのが、
実は高野山参り表参道の出発点です。
ここに立つ1番の町石から
根本大塔を経て霊廟まで
合計216本の町石が
建てられています。

これをたどって高野に登っていくのが
町石道マラソンですねえ。
これが一番の町石です。



看板にある町石道の案内は
大門までを表していますね。



慈尊院では本殿の裏側に入って、
慈尊院の関連ビデオを
見せていただきます。

そんなビデオの中に登場するのが、
高野山案内犬といわれる
「ゴン」の話だ。

慈尊院から町石道を
参拝者を道案内するように
歩いてくれる。
そして高野についたら、
またこの犬は町石道を歩いて
戻ってくるのだ。

こういう道案内を繰り返し、
この犬はとても有名になりました。

新聞にも載ったくらいです。

なので、doironが町石道マラソンに
出始めたころに、
慈尊院で見かけたことがあります。

もうそのころには、
老衰で案内をやめていたかもしれませんね。

一緒に参加した友達と
「ゴン」といったら顔をあげていましたね。

いまはお寺の隅っこに
こんな立派なお墓を作られて
静かに眠っているようです。



さあ、これで四国八十八か所の
お礼参りである高野山も終わりましたし、
締めくくりの絵もかきました。

最後は結願の掛け軸の
完成を待つのみです
(それも約一月後に完成しましたが)。



高野山の正しいお参りの仕方、
立派なお土産の買い方も
しっかり学んだツアーでした。

今現在は、描き束ねた絵の展示方法や
その並べ方、そして絵につける
短い文章の作成に頑張っています、
夏ごろと考えていましたが、
どうやら秋口くらいに
結願祝いになるかもしれません。

また日程等が決まりましたら
ここに乗せますので、
もし機会があれば見に来て
やってくださいね~。

以上、doironたちの四国結願の
お話は終了です。

ありがとうございました。

 


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