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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

堺から再開、熊野街道 2

2013年10月24日 21時32分18秒 | ウォーキング

石津神社に到着したのは、11時05分。



歩き始めて40分くらいでした。

この石津神社は、
以前「紀州街道」を歩いた時に訪れた
石津太神社に比定されています。

境内にはこんな石も置かれてました。



しかし、どちらが本社で
どちらが分社もしくは御旅所なのかは
定かではないそうです。

主祭神は両社とも同じくえびす様です。

海から流れ着いたえびす様が
そこに5色の石を置いたのが始まりといわれています。

なので、「石津」なんだそうです。

ということは、このあたりは
船着き場の一つでもあり
治水の発達していない昔なら
時に海の水が流れ込む「津」であり、
湿地っぽかったことが想像されます。

えびすとはそうあの七福神で
鯛と釣竿を持っているあの神様ですね。

「えびす」にあてられる漢字は、
夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須と様々で、
七色の漢字を持つ神様です。
七福神の中では唯一国産の神様だといわれています。

大阪では「えべっさん」とも呼ばれています。

ちなみにビールは
「YEBISU」と表記します。
アブサンの大好物のビールです。
頭に「Y」がつくのは、
えびすをひらがなで書くときに
「ゑびす」になったり、カタカナでも「ヱビス」に
なったりするからでしょう。

ところが鳥居をくぐって



まず目に入る石標には
「笑姿」と書かれてあります。



これも「えびす」にあてられた漢字なんですね。

この石津神社は、
江戸時代に刊行された
「和泉名所図会」にも描かれています。



神社のすぐ南側には石津川が描かれ、
大きな橋が架かっています。

これは、これから渡ろうとしている街道上の「戎橋」と違って、
もう少し上流に架かっていたそうです。

石津川はよく反乱をし、
流れを変える暴れ川だったことが
この絵からもわかります。

絵をもう少しよく見てみると、
神社から橋を渡って道が左右に分かれています。
この道を右折し、田んぼのあぜ道のように
くいっと曲がって描かれているのが、
熊野街道だといわれています。

だから位置的にこの橋が
「戎橋」でないことがわかるそうです。

神社で二礼二拍1礼を済まし、
ふと横を見ると、
こんな写真が貼ってありました。



なんでも8月にあった
賽銭泥棒の犯行時の連続写真だそうです。
ま、こんなことまでして捕まえなくても、
本人にはきっと神罰が当たっていることでしょう。

それとえびす様は耳が遠かったといわれています。
なので、お願い事を
もっとよく聞き届けていただくためには、
御神体に近いところで、
大きな音をたててもらうのがいいと、
社殿の南側にこんな板が据えられていました。



カンカンカンと3度叩いて
音をたててからお願いするとよいそうです。
もちろんそうしておきました。

そうそう、ここの狛犬は、
口の中や耳たぶが朱に塗られ、
とってもゴージャスでした。



願い事をよく聴くので、
しっかりお願いしましょうというのを
表現しているのですかねえ。

石津神社を出ますと、
道はここで国道26号と別れて、
石津川の堤防に向かって
坂道を登っていきます。



その先に架かっているのが「戎橋」です。



この名前には馴染みがありますね。
あの道頓堀川に架かる
心斎橋筋の橋と同じ名前です。

あちらは、今宮戎に詣でる道に架かる橋として
そういう名前になっているというのが有力な説なんですが、
ここは間違いなく石津神社にお参りする
参詣道の橋として、
江戸時代に架けられた橋の名前を引き継いでいます。

橋下げた刻まれた橋の名前も、
その部分だけが古い石でできていました。
昔のを用いているんでしょう。



この橋の上から見ると、
石津川も結構深い川であることがわかります。





昔の人が渡ろうとした時に、
橋の位置、ひいては川の流れに
街道ルートが左右されであろうことがよくわかります。

また次回に続きます。


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