ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

東海道、亀山宿から関宿へ3

2019年11月16日 21時10分11秒 | ウォーキング

石垣島から帰ってきました。
なので、その感動を書きたいのですが
書き始めた東海道を仕上げて
他にももろもろ書いてから
ということになります。
あったかい南国の海の後で
東海道の古い街を書くのは
抵抗ありますが、頑張って続けます。

ーーーーーーー

谷底の下の方で子どもたちが
散歩しているのを見て
ここの高さを実感しました。
でもここはこの高さが重要なんです。



昔の浮世絵で東海道五十三次の
亀山の絵のモデルになった場所でした。



まあこんな絵よりはなだらかですけど、
道もしっかりしてなかった昔、
雪の降るころなら
難所だったんでしょうねえ。

ほかの絵はこんな風に荷物を運んだり、



松並木の中をのんびり歩く姿



だったりするのですが、
この竜川の京口橋辺りは
とてもけわしい所だったようです。
そんな東海道をさらに歩いていきましょう。



この亀山宿の昔の街道には今は
道にこんな赤い色が塗られているので、
歩くのもわかりやすくていいですねえ。



ここには全国の街道沿いや
神社に寄付を行った
「谷口一族」ことが書かれていますねえ。



う~ん、これは初めて目にした一族です。
また勉強していかなくては
なりませんねえ。

ここには涅槃図などが寄進されたようです。
街道沿いにはいろんな出来事が
続いていきますよ。

ここには赤堀水野介の碑が立っています。
「亀山の仇討」に関連して
仇討された人の碑が立っています。



古い家が続いていく中で、
こんな伊勢うどんのお店もありました。



う~ん、気になりますが、
亀山の名物じゃないですよねえ。

ここへ来る前に調べてあったのですが、
亀山の名物といえば

「亀山味噌焼うどん」



ですねえ。
国道1号を通るトラック運ちゃんなんかに
人気のあったメニューが、
今は名物になっているとのことです。
ああ、なんかB級グルメですねえ。

それに、帰りは電車ですから
味噌焼うどんってなんか
ビールに合いそうじゃないですか。
ぴったりですねえ。
今日の昼食はその名物にしましょう。

ああ、でも伊勢うどんで
思い出すことがひとつあります。

むかし、三重県の海で
トライアスロンが開催されました。
もう今はない大会ですが、
2回ほど出ています。
51.5キロのオリンピックディスタンスですが、
まだまだトライアスロン競技が
さほど行われていない時代だったので、
大阪のトライアスリートには
人気の大会でした。
そこへ友達と行った時に
初めて食べたのが伊勢うどんでした。

しかも漁港の中にある小さな食堂でした。
初めて見たときは驚きましたねえ。

「おばちゃん、だしを入れ忘れてるよ」
と叫びそうになったもんね。

そんな事件があったのを思い出します。

うう~でもここは我慢ですねえ。
頑張って歩いていきましょう。



道には東海道の大きな石碑が立っています。



これは名古屋の蓬莱屋の横に
立っていた石碑。



それに比べたら立派ですねえ。

街道沿いにはこんなお寺も
多く残っています。





最近では墓地も兼ねたお寺が多いですねえ。



ここは変わった建物やなあ
と思ったらどうも食堂みたいな感じ。

味噌焼うどんのお店はまだかなあ。

ここには焼き肉屋もありますよ。



なんとここは明治の時代に
いまから四代前の明治天皇が
伊勢参りの帰り道に亀山に寄り、
この店でご休憩をされたそうだ。



立派な案内も張られてますねえ。
そういえば、亀山神社の所にも
「明治天皇行在所」がありましたねえ。



そもそも最上位の天皇が、
こうして日本国中を視察して
回ったのはとても大事件だったそうです。

この旧東海道を明治天皇は
しずしずとお通りに
なられたんでしょうねえ。
道にはこんな四角いマンふたに
旧東海道と書かれていました。



doironもそんな道を
しずしずと歩いていきましょう。

大きな交差点には休憩施設があります。
地図とベンチがあって、
座って水分補給ですねえ。
昔の旅人も、瓢箪や竹筒にいれた
水分を飲んだりしていたのでしょうねえ。
お金を持たずに伊勢参りする人は
柄杓を持って歩いていたそうで、
水分補給は今も昔も大事だったんですねえ。



ま、飲まないと死んじゃいますがね。
こんな風に休憩所など、
なかなかいろいろと
整備された街道歩きはたのしいです。

続く



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