ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大阪八百八橋を巡った 2

2015年01月27日 21時13分13秒 | ウォーキング

この銀橋は正式名は「桜宮橋」と言います。
国道一号が通っている橋です。

ぱっと見た目1本の橋のように見えますが、
実は2本の橋で構成されています。

北側から見たこの橋が「新桜宮橋」



そして南側に架かるのが「桜宮橋」です。



下をくぐる道はこんな感じ。



そのトンネルを出ると、
目の前に造幣局が現れます。



ふと右を見ると、こんなものがありました。



「みゆき橋跡」と書かれています。
はてな?資料にも書かれてないぞ
と思いつつ写真をパチリ。
あとで調べたら、
造幣局へ地金を水運で搬入させる掘割に
架かっていた橋の跡だそうです。

その造幣局には貨幣博物館があります。
入場は無料なんだそうですが、
今回はスルーです。
お金は見飽きましたから・・

この博物館の前の通路が、
春先の花見シーズンに解放されます。
俗にいう「造幣局の通り抜け」ってやつですね。
抜けるのにもあまり興味はありません。

このあたりは桜の季節には
さぞかしライトアップもすごいんでしょうねえ。
照明設備の数が半端ではありませんでした。



さあ、次の橋が見えてきました。

「川崎橋」



北大坂サイクルラインが大川を渡る橋で、
自転車・歩行者専用の橋です。

高い塔からケーブルを張った
その特徴的な姿は桜の景観とあわせて
たびたび映像になっているようで、
「大阪みどりの百選」にも選ばれています。



河川敷から橋の上に出てみると、
橋の向こうに大阪城がちょこんと見えていました。



橋の名前は、かつてこの架橋地点にあった

「川崎渡し」

からつけられているそうです。

大川が南北の流れから
東西の流れへと方向を変えていくそのあたりで、
対岸に日経新聞社とテレビ大阪が見えてきます。
そこが寝屋川との合流点です。



そしてOMMビルが見えてくると、



浪華三大橋のひとつ

「天満橋」

にまもなく到着です。



12本あった公儀橋のひとつで、
北斎の絵も残っています。



この絵は多分天神祭のときの様子でしょう。
橋の欄干につけられた提灯は
今も祭りの時には同様に並べられるようです。

その天満橋をくぐると、



そこに「将秦島粗朶水制」の石碑があります。



これは何かと言いますと。

このあたりの大川の中には
もともと将秦島という島があったそうです。
天満橋はその上にかけられた橋だったのですが、
ここには粗朶水制という
川の流れを制御する仕掛けも施してありました。

丸太を組んでその間に石を入れたものを
流れの中に突き出して水の勢いを弱めるこの方法は
ケレップ水制といわれ、護岸に効果があったそうです。

ふ~ん、そんな取り組みがあることも、
水を制御する「水制」という言葉があることも
ここで初めて知りました。

歩くことは知ることなんですねえ。

淀川三十石舟舟歌碑や



天満の子守唄の碑、



そして天満青物市場が
かつてここにあったことも知りました。



フムフムと脳みそを刺激しながらふと対岸を見ますと、
八軒家浜の燈籠がみえています。



そう、そここそが、今も歩き続けて
現在切目にさしかかっている
熊野古道のスタート地点です。

陸続きなので当然と言えば当然なんですが、
あの峠道や風の強い海沿いの道と
ここがつながっているのかと思うと
感慨もひとしおです。

そんなことを思いつつ、
なおも歩いていくと、



もう一つの浪華三大橋である

「天神橋」



にさしかかります。

昨秋、日本一長い商店街を歩いて
さしかかった橋です。

こんな橋名飾板も懐かしい気がします。



ここから水都大阪の景色を眺めながら
中ほどにあるらせん状の階段を下りて、
コースは大川が土佐堀川と堂島川に
分かれる分岐点にある中之島公園に降りてゆきます。

季節が季節であればバラの花が咲き競う
バラ園がありますが、



どうやら今は養生中のようです。

続く


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