ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

我が村の地蔵さんについて

2020年09月09日 20時59分57秒 | 生活

我が町の地蔵さんは村の北側にある。



今は開発も進んで、
端っこというわけではないが、
doironの記憶では、
地蔵の裏は小さい小山で
自分が住んでる村の
北の端っこにあった。

子どもの頃は小学校に通う道の
村の最終地点になるので、
集団登校のときなんかは
よく待ち合わせをしたところだ。

時折小山から大きなカエルや
蛇なんかも出てきて
大騒ぎになったこともある。

朝には近所のおばさんが
たまに掃除をしていて、
枯れ草を集めて焚火を
していたこともあったなあ。

今思えば、あのおばさんは
誰やったのかなあ。
多分地蔵講で地蔵さんの管理を
したりしていたのだろうなあ。

実はdoironの母親も
一時地蔵の管理をしていて、
掃除をしたり花を変えたり
していたことがある。

たまに花を買いに行かされたこともある。

いろんな人が順繰りに
そんな仕事を引き継いで
やってくれており、
今はもうなくなった
5代前の自治会長の奥さんが
担当してくれている。

doironさんのお母さんが
一時期やってくれてたもんね」
とかいいながら講の代表になった私を
快く助けてくれているのだ。

亡くなった母親の善行が
今の私を助けてくれている
ということですね、
ありがたいことだ。

そんな地域の地蔵さんも、
調べてみるといろんな形で
村の人とかかわってきました。

全部で5体ある地蔵を、
今は立派な社に入れて並べてあります。

平成の始めの頃に白アリ被害で
お堂が倒れ、平成8年に
村の人から2587000円の
寄付をいただいて、
建て替えたという立派な社です。

5体ある地蔵は、
真ん中に錫杖を持つ立派な
地蔵がいますが、
後の四体はその彫り物も
薄くなっているだけでなく、
一体なんかはまるっきり石のようです。

それのことかどうかはわかりませんが、
ひとつこんないわれがあります。

100年ほど前に流行した
スペイン風邪は、この地蔵さんの石を、
村の人が飲む水をくんでいた
裏山の砂の中から見つけ出して、
それを地蔵として置いて
お祈りしたことにより、
我が村に患者は一人も出なかったと、
昔の人は伝えていたそうです。

今のコロナの時代にも
その効能は生きててほしいですね。
そんな地蔵石を昔の人が
砂の中から見つけ出したのですが、
そんなところから見つかるのは
よくある話で、うちの菩提寺である
お寺の本尊も、川の中から
堀出されたものなんだそうだからねえ。

土に埋もれていたものに
効能があったりするのはよくある話です。

こうして地蔵のひとつひとつに、
村の人のいろんな思いが
しみ込んでいるのに
違いないでしょう。

そうそうもう一つ興味のあるものが、
地蔵堂の周りにあります。
地蔵さんに向かって左側に
置かれてある線香立てです。



それはとても古いものです。
そこに刻まれてある年号を
推定したところ、1814年に
設置されたものだそうです。

江戸時代後半、200年以上前ですねえ。

六歳講と書かれてあるのは、
おどり念仏に基いて
月に6回お祈りを上げるところから
こんな名前が彫ってあります。

もしかしたら地元の講の名前が
これなのかもしれません。

そしてこの線香立てが
もうひとつ面白いのは、
その石の上部にあるくぼみなんです。

人々が信仰のひとつとして
なぜたことによって
できたものだそうです。

写真で見たらこんな感じ。



赤い矢印部分がへこんでいるでしょう。
みんなが触ることによってです。
こうなっている線香立ては
泉州にはあちこちあって、
我が市にも2つ残って
いるんだそうです。

名前を石盆石といいます。

人々の信仰が石の凹みに
なっているなんて
面白いですよねえ。

まだまだこの地蔵にまつわる話も
ほかにもきっとあるでしょう。

これを機会に、この地蔵さんに
かかわる話を、みんなに
聞いていきたいなと
思っている今日この頃です。