ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

若かりし頃の九州旅行1

2018年06月19日 20時53分39秒 | 最近の出来事

首Dさん、T本さん二人と
鹿児島に旅行に行ってきました。



安いピーチの飛行機便をとり、
宿、レンタカーを首Dさん知り合いの
旅行会社に抑えてもらって、
鹿児島中を旅してきました。

最近はこの辺の情報は本や
テレビでいっぱい入ってきます。

西郷どん、の影響ですな。



それに加えてミセスもまた激安飛行機で、
少し前に以前の職場の友達と日帰りで
鹿児島を二回満喫してきはりました。

だからもう、いろんな情報が入って
行きたいところがいっぱいです。

実はこの周辺を、まだまだ旅慣れていない
高校生の頃に、友達3人で
旅行をしたことがあります。

リュックサックを背負って、
周遊券でテントを担ぎ7泊8日で
無茶苦茶な旅をしました。

その時のことをちょっと長くなりますが
書いておきましょう。
今度の旅行ではそれを思い出す
所がいくつかあったのです。

まずは夜行の急行列車で
我々3人は宮崎へと向かいました。
確か電車の名前は「明星」でしたかねえ。
もう今はないでしょう。

僕らはその電車の寝台席なんかではなく
普通席に座って海を超え
九州に入っていったのです。

4人すわりのベンチで、
サーカスの熊よりも複雑な形で
眠っていきましたねえ。

翌朝、九州の線に入ってからは
電車もガラガラで、
僕らは最後尾の窓から遠ざかっていく
線路と景色を見ながら
旅感覚を満喫していたのを思い出します。



確か、途中で電車から電気ではない
列車に切り替わったような気がします。

ようやく列車は宮崎について、

「よっしゃあ、ここで降りよう」

と僕らは大騒ぎ。
駅の荷物預かりに荷物を預け
僕らはもう家出少年のように
見知らぬその町を歩き回ったのでした。

「橘通り」という市内の
大通りの名前もこの時に覚えました。

もう高校生とはいえ僕らは
世間知らずも甚だしく、
神社で今年は「紀元何年」
とかいう記載があるのを見て、
九州は違った西暦で動いているんか
と思ったくらいでした。

まだコンビニなどもない時代ですから、
腹が減ったら何か買って
というような感じはありません。

橘通りでうどんを食べた
ような気がします。

そしてこの日僕らが泊まったのは

青島。

青島海岸にテントを張り、
キャンプをする予定でした。

なので宮崎で散々遊びまわった後は
電車に乗って青島へ移動
ということになりました。

当時は周遊券で来てたので
電車は乗り放題です。

「青島行は0番ホームから出ます」という
放送を聞いて駅に入り、
ああこれだあと言って気づかずに
乗り込んだ列車は
な、なんと1番線の車両でした。

時刻が来ても電車は動きません。

と窓から向こうを見ると
青島行の列車が出ていきます。

うわーと思っていたところに
車掌さんが来て、
この電車は車庫に入るから
降りてくださいと言ってきます。

「そんなこと言わずに青島まで行ってよ~」
と懇願しましたが無理でしたね。

もう青島行には乗れなくなったので、
ここからは歩いていくか
となったのです。

まあしかしついていることに、
無事バスを発見。

おお~神様に参ったのが
聞いてるぞーとそれに
乗り込んだのでした。

その日に絶対に青島に
行かなくてはならない理由は
何もなかったのですが、
僕らはそれなりにスケジュールを
決めていたので、それを
守らないといけないという
指名に燃えていたのでした。

で、夜に青島に到着し、
我々は近くの海辺に
テントを張ったのでした。

酒屋の店先でこっそりビールを買い、
三人で飲んでみようとしたのですが、
もうこれが苦くて苦くて、
大人は何でこれをうまいと
飲み干しているんだと、
まだ大人になり切れていない我々は、
三人で1本のビールも飲めずに、
テントでトランプしたりしながら
過ごすのでした。

当時、青島といえば新婚旅行のメッカ。

すると海辺にテントを張った
我々の周りで、ウヒャーと
すごいことが起こったのでした。

高校一年の思い出話、続く。

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さあ、ブログがすんだら
今からこんな格好で



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