ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

比叡坂本歩き旅2

2018年06月09日 21時13分36秒 | ウォーキング

この阿波羅屋地蔵の周りには
小さな地蔵尊がいくつもあります。



昔はこの辺りが大きな寺だったようで、
その名残がここから
山の方に向かっていくと、



ほんとにいくつもの地蔵尊に出会います。









まあ、いわゆる地域の地蔵道ですねえ。

酔っぱらって帰ってきたら
たくさんの地蔵さんに
にらまれるかもしれませんねえ。

うう~そう考えたら
ちょっと怖いですねえ。
坂道をくねくね登っていくことも
しないといけないので、
なんか酔いもさめてしまいそうです。

こういう地蔵のいる道は
一本の川に接しており、



この川の名前を「足洗川」というのは、



ぼちぼちそんな酔っ払い人生とは
「足を洗いなさいよ」という意味で
つけられた名前なんだそうです。

え~それはうそですが。

本当はもっと怖い理由で、
昔は比叡山なんかで合戦があって、
戦いに勝った人間が足を洗って、
血でまっかな水が流れていた
という説があるそうです。

ヒャー、これの方がこわいですねえ。
川に沿った道を上がっていきます。

今日は比叡山麓あたりを
ウロウロするので
アップダウンは覚悟してきていますが、
この辺りはかなりの傾斜で登っていきます。

はあ、はあと登ってきたぞ
と思った頃に、古墳が現れます。

「袋古墳群」」です。



どうも出土したものから見ると、
当時渡来した人か
もしくはそれに近い人の墓か
といわれています。



それにしても古墳て本当に
どこにでもありますねえ。



堺の百舌鳥古墳群だけでなく、
これまで豊中、五條などの
古墳も見て回りましたねえ。

最近は泉南の古墳の方も
見に行くつもりをしていますしね。

この辺の古墳は規模は
あまり大きくありませんが。
こんな形でていねいに
保存されているようです。

さあ、では次の目標地である
「西教寺」を目指しましょう。

ここは聖徳太子が創建したお寺で、
今は天台真盛宗の総本山であります。



住宅地を登っていきますと、
こんな石碑が立っています。



この先の日吉神宮から大榊が
大津の天孫神社に渡らされる神事があり、
この広道芝松というところに
榊が下ろされ神事を行った上で
移し返されたという神事があることを
説明しています。

よくわからない神事ですが、
まあいろんな神社がありますから
想像もできないような神事も
あったりするんでしょうねえ。

さあて、いよいよ前面に濃い緑が
見えてきましたよ。
緑に覆われたこんな道標を



見ながら進んでいきますと、
そこにあるのが「西教寺」です。



このお寺でチェックしておきたいことは
3つあります。

ひとつは護猿(まもりざる)です。

昔、このお寺の法難が押し寄せたときに、
手の白い猿が鐘をうち、
証人の代わりにお経をあげた
といういわれがあり、
お寺の建物に猿の瓦がのってる
というのでそれを見に行かねばなりません。



中に入って屋根を見上げてみると、
いました。



全部で何匹いるのかわかりませんが、
この寺ではこの猿を
お守り代わりにしています。

そしてこの寺のもう一つの見どころは、
明智光秀の墓です。
本殿の隅っこにそれはありました。



後ろは穴太衆の石段かな。
織田信長の比叡山焼き討ちのあと、
この寺はここに坂本城を築いた
明智光秀の菩提寺となっていたそうです。

ここに、光秀の辞世の句
といわれるものが掲示されています。



漢字ばかりでややこしいですねえ。
自刃の前に藩士に託した
といわれています。

大意は、修行の道には順縁と逆縁の
二つがあるといわれていますが、
実は二つとも同じもので、
人間の心の源に達するものだ。

自分の人生五十五年も夢が覚めれば
一つだったという意味だそうです。

いやあ、彼の人生そのものを
振り返って考えれば、
なかなか味のある言葉ですねえ。

彼の深い人生哲学がわかる言葉
といわれています。

続く