城跡から東に向かう道にでると、
駅前らしく大きな建物が建ち並んでいる。
これはスーパーなどを含む複合型商業施設。
これは伊丹市立の演劇ホール。
そんな施設を過ぎたところから
広い道に特別な舗装がされた通りが続いていく。
このあたりはしっかり整備されていて、
街灯の柱には
「歴史街道」のシールも貼られてある。
と、その時ある店の植え込みの中に
小さな石が立っているのを発見。
「旧伊丹町」の道路元標だ!
これでこのブログの中で
7つ目の道路元標をゲットしたことになる。
やったあ。
この伊丹郷の発展を支えてきたのが酒造り。
意外にも、灘や伏見などの
良質の水があるというイメージの場所ではなくて、
日本酒の発祥の地はこの伊丹なのだ。
もともと酒は神代の昔からあったとされるが、
伊丹の鴻池郷で大量生産の方法が発明されて
一気に広がっていったといわれている。
その酒は関東に運ばれた。
関東でも酒造りは行われていたが
やはり上方の酒は良質でおいしく
江戸の人々は「下りもの」と呼んで
好んで呑んだという
そんなところから上等でないものを
「くだらない」というようになったのは
有名な話だ。
その鴻池の酒造業で財を成した
「鴻池一族」はその後、
両替商を経て日本一の財閥である
「鴻池財閥」へと発展していったそうだ。
ここはそんな伊丹の観光名所のひとつ
「長寿蔵」。
醸造所と博物館、そしてレストランもある、
お酒の殿堂ともいえる建物だ。
残念ながら、中に入ってみることはしなかった。
いつかあらためて電車で見学に来ようかな。
なおも直進して三軒寺前広場まで行き、
大クスのある法厳寺でUターン。
正善寺の山門では珍しい「蟇股(かえるまた)」を見学。
かつてはこんな彩色が施されていたそうだ。
みやのまえ文化の郷の辺りも散歩してみた。
これは1674年に建てられた
兵庫県内最古の町屋
「旧岡田家住宅・酒蔵」。
今は重要文化財として
昔の酒造りに関する道具や
絵図などを展示している。
杉玉もずいぶんと立派だこと。
そしてこれが「旧石橋家住宅」
こちらは県指定の文化財で、
古い日常生活品の展示や
クラフトショップも設けている。
これらを眺め終わってから、
今度は北を向いて進むことにした。
次に向かったのが「猪名野神社」だ。
途中、こんなホールや
足湯もあったな。
そして、これは面白いなと思ったのが、
「ことば蔵」という市立図書館。
酒蔵などの町屋の蔵が並ぶ中で、
図書館を、言葉がいっぱい収蔵されている
というネーミングをし、
外観もいかにも昔の蔵風に残してあった。
その図書館からすぐのところに
目的の神社の鳥居が建っていた。
これ。
旧平野郷の氏神であり、
宮の前などの地名は
ここにこの神社があることに由来している。
この神社の中にあったのが、
「東の芭蕉・西の鬼貫(おにつら)」
といわれた俳諧師「上島(かみしま)鬼貫」の句碑だ。
鬼貫は伊丹で醸造業者の三男として生まれ、
若くして俳諧の道に進んだといわれている。
代表作が
「にょっぽりと 秋の空なる富士の山」。
名前と同様、にょっぽりとした癖があるね。
(どんな癖や)
この神社に併設して公園があり、
この公園を囲っているのが
かつて惣構えの態をなしていた
有岡城の北の砦にあった土塁の跡。
平野でも平野公園や杭全公園に
土塁や環濠の跡が残っていたっけな。
公園の周りをぐるっと回っていくと、
おお~地面に大量のどんぐりが・・・。
秋やねえ。
そしてその公園の北側から続くのが「伊丹緑道」。
その入り口がこの小さな路地から始まる。
ここまで、有岡城の惣構えの中、
いわゆる伊丹郷の中を歩きつつ
いにしえに思いをはせてきたが、
ここからは都市の中に残る
静かな緑の道をてくてく歩く
第2章の歩きが始まる。
伊丹のイメージががらりと変わることうけあい。
その道は「美しい日本の歩きたくなるみち500選」
にも選ばれているのだ。
どれどれと入って行く
というところで続く。