ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

あれから1年

2011年05月15日 22時05分57秒 | 最近の出来事

2010年5月15日。
そう、ちょうど一年前の今日も
新緑に風が吹き渡る
爽やかな一日でした。

午前10時30分頃、
溝の中に仰向けに寝転がり
自分の上に覆いかぶさる自転車越しに
見た5月の空は、今日の空と同じく
澄み渡っていました。

そうです、あのバイク転倒事件から
ちょうど今日で1年です。

振り返れば、この一年は
doironにとって激動の一年でした。

背中に鉄板が入ったみたいな状態で
何事もなかったように気丈に振舞いながら
懸命に秘書稼業をこなし、
ようやく普通に無理せず
日常生活を送れるようになるのに
1ヵ月くらいはかかったでしょうか。

ゆっくり走れるようになるまでは
2カ月くらいかかったように思います。

そんな中、昨年最も悔しかったのが、
選考されているにもかかわらず
直前にDNSとなった皆生でした。

友達を応援しながら
くそっ、来年こそは自分もと
気合を入れてもらい、
ぼちぼち練習のための
練習ができるようになった9月には
人間ドックで
10%のガン宣告を受けた。
気持ちはまたまた落ち込むと同時に
バイク転倒で消えていた
昔の腰痛までぶり返してきた。

少し浮き上がっては
勢い込もうとするdoironを
また押し沈めるように
苦難がやってくる。
もはや、これまでかと
思っていたガンは
どうやらグレーゾーンのまま
推移することになり、
少し明るい気持ちで
マラソンシーズンが始まった。

練習が進んでくると
腰痛も治り始め
ジャズマラソン10kmを
完走できるくらいにまで
気持ちも身体も快方に向かってきた。
そんなときに義父が
骨折で入院。
介護の比重が一気に増したが
まあそれは何とか乗り切り
練習もいよいよインターバル練習にと
移行してきた。

がはがは言いながら
汗を大量にかき
日に日に締まっていく身体を
見るのは、精神的に
とても癒された。

そして迎えた12月23日。
ハーフマラソンに出場。
まだ焦ってはいけない、
今はハーフをゆっくり走りながら
自分の今の走力の底を
確認するという目的で
ゆっくり、楽しくゴールするはずだったのに
危うく人生のゴールまで
超えてしまいそうになった
あの宝塚事件が起こった。

何とか一命をとりとめ
検査を山ほど受けて
後遺症は全くないことがわかったころに
人事異動で新たな部署に配属となった。
必死で仕事を覚えつつ
軽い運動を続けながら
あとは最終の初夏の入院検査で
異常なしを確認すれば
完治だという所までこぎつけた矢先、
実父と義父が相次いで入院となった。

どこまでこんな低迷の生活が
続くんだろうと思いながら
今年のゴールデンウイークに
突入した。

あれから1年。

他にも、親戚の不幸もありーの
友達のひどい落ち込みもありーの
大震災もありーので
doironを取り巻く環境は
激動に激動を重ねた一年でした。

ここにきて、ようやく
明るい兆しが見え始めました。
実父は必死のリハビリの甲斐あって
杖があれば歩けるまでに回復しております。

落ち込んだ友達も
順調に生活が推移し始めています。

苦労して苦労して
泣きながら勉強して
ようやく超難関の国家試験に
受かった友達もいます。

ずっと、思い続けていた人と
もうすぐめでたくゴールインし
希望のアメリカに移り住んでいく
友達もいます。

そしてdoiron自身も、10キロくらいは
普通に走れるようになり、
今年は昔取った杵柄で
山登りを楽しんでみようかなと
いろいろ計画を練るくらいにまでは
十分回復したようです。

グレーゾーンだったガンも
一連の検査の中で
正常値に戻ってきました。

自分もそして周りも
いろいろいい方向に向かい始めまています。

禍福はあざなえる縄の如し。

不幸も案外幸せと隣り合わせなんですね。

もし一年前の今日、
バイクで転倒していなければ
あの灼熱の皆生で
doironはどうなっていたかわかりません。

また、介護がなければ
こんなにも人の命と
向き合う機会はなかったでしょう。

過ぎてしまえば
苦しかったことも
いとしき日々であります。
この一年の出来事を決して無駄にせず
まだまだこれからの人生を
存分に楽しもうと、
親父の病院の窓から
今年の5月の爽やかな空を
見上げながら
この一年を振り返り
しみじみと、人生のことを
考えていたdoironなのでした、マル。