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蘇える印籠

2019-07-19 | 東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 7月19日(金)11時48分28秒

7月9日の「與那覇潤・安冨歩・東島誠のトライアングル」で東島誠氏の「「幕府」論のための基礎概念序説」を少し真面目に検討すると言ってから、この投稿で既に13投稿目になりますが、そろそろ潮時ですかね。
東島氏は、「ひとたび中世史から一歩外に出れば」(p29)と、中世史研究者になじみのない分野の文献を権威主義的に引用し、その高圧的な姿勢に読者が戸惑っている隙に自らの見解を押しつけようとしますが、引用元の文献を丁寧に確認してみると、それほど説得的な内容ではなかったり、東島氏の論旨との関係が不明だったりして、結局のところ、虎の威を借りた騒々しいだけの論文ですね。
東島氏が頼る最大の虎はやはりマックス・「ヴ」ェーバーで、

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ここにおわす御方をどなたと心得る、
「価値自由」と「理念型」で名高い天下の知識人、マックス・ヴェーバー大先生なるぞ、
頭が高い、控えおろう!
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などとドイツ製の高級印籠を掲げられると、普段、社会科学の「方法論」みたいなものを意識したことのない人は、「はは~」とひれ伏したくなってしまうかもしれませんが、ニ十世紀初頭、ウェーバーが頻りに「価値自由」だの「理念型」だのを論じたのは、その時代特有の背景があってのことですね。
1920年にウェーバーが没してから既に一世紀が過ぎ、社会科学の個々の分野で「方法論」の精密化が進展する一方、歴史学のような分野では、しっかりした指導者の下で、大学院できちんと学問的訓練を受け、査読のある学会誌への投稿などを重ねていれば、一定のレベルの「客観性」は自ずと保たれるんじゃないですかね。
いわば「歴史研究者共同体」が全体で「客観性」を担保しており、個々の研究者はそれほど「方法論」を意識する必要もないんじゃないかなと思います。
そんな中、唐突に「価値自由」だ「理念型」だ、などと叫ぶ人が出てくると意外に新鮮な感じがしないでもないですが、まあ、時代錯誤ですね。
東島氏がウェーバーの次に繰り出す「皇国史観禁止」と書かれた渡辺浩先生の印籠は、敗戦により「皇国史観」自体がほぼ消滅して幾星霜の2019年では、これまた時代錯誤ですね。
渡辺氏は存在しない敵に向かって風車に突進するドン・キホーテであり、渡辺氏に従って「皇国史観による武家政権観の臭味を帯び」た「幕府」を使わないと誓った苅部直氏はサンチョ・パンサがお似合いです。
また、東島氏が渡辺氏の次に繰り出す三谷太一郎先生の印籠は、それ自体は非常に立派なものだと思いますが、何故にこのタイミングで出て来るのかが分かりません。
「そこはあくまで余興」ということでしょうか。

※追記
マックス・「ヴ」ェーバーと書いたのは「気取ってんじゃねーぞ」みたいな悪意の現れではなくて、私は学生時代から「ウェーバー」に慣れてしまっているので、東島氏の表記の仕方がちょっと気になった、程度のことです。
最近の研究者はむしろ「ヴ」派が多数なんでしょうけど、ツイッターで少し話題になった佐藤俊樹氏の大澤真幸『社会学史』への書評(『UP』(2019年6月号)で、大澤氏が「ヴ」派なのに対し、佐藤氏が「ウ」派だったので、同志発見、と思ってしまいました。

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