学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

「史料概念」と「分析概念」

2019-07-16 | 東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 7月16日(火)11時23分52秒

「序 いくつかの日本史用語について」は、結論には賛成できないものの、思考実験としては非常に面白いですね。
渡辺氏が提唱する日本史NGワードは「幕府」「朝廷」「天皇」「藩」の四つですが、個人的に一番参考になったのは「朝廷」です。

-------
二 朝廷

 藤田東湖が嘆いたように、江戸時代には公儀が、往々「朝廷」と呼ばれている。現に「天下」を統治している君主の政庁をそう呼ぶのは、不自然ではなかった。
 比較的知られている、『赤穂義人録』『国喪正議』における室鳩巣、その文集における荻生徂徠、『経済録』における太宰春台ばかりではない。湯浅常山は(熊沢蕃山につき「東都ノ朝廷ニ封事ヲ奏シテ海内ノ政事ヲ更始セントス」と記し(「備前国故執政大夫熊沢先生行状」)、松浦静山は、(徳川綱吉を指して)「此時朝廷御子無きを以て」と書いている(『甲子夜話』巻四七)また、南川維遷は「当今ハ封建ノ制ナルユヘ、朝廷ノ大法アレドモ、又ソノ国々ノ律有テ」(『金溪雑話』)と、和学者高田與清は「学者」を批判して「朝庭〔おほやけ〕の政事〔まつりごと〕をかれこれと論ずる者もあり」(『積徳叢談』)と、述べている。高田與清の振仮名の示すように、「おほやけ」「お上」「公儀」とほぼ同義で、「朝廷(庭)」は使われるのである。高野長英が「蛮社の獄」の顛末を記して、「官〔カミ〕の逆鱗」「朝廷を誹謗」等と書いたのも(「わすれがたみ」)、同様である。
 なお、漢文の素養のある人々は、「公儀」では外国人に通じないとは考えた。日本独特の語だからである。そこで、レザノフに長崎退去を命じた公儀の「申渡」は、自ら「朝廷の意かくの如し」と述べた(文化二年)。そして佐久間象山は、ハリスとの折衝案に、くりかえし「吾朝廷」という語を用いた(安政五年)。彼等はそれが京都に対して僭越であるなどとは考えなかった。
-------

ということで(p6)、ここまでは渡辺氏の薀蓄の豊富さに、なるほどなあ、と感心するのですが、問題はやはり代替案ですね。

-------
 「朝廷」といえば、当然京都にあり、江戸にあったのは「幕府」だったという通念が、実は水戸学的であり、「近代的」なのである。水戸学に同情的でもない歴史家が「近世の朝幕関係」を論じたりするのは、いささか奇妙ではあるまいか。
 では、何と呼ぶのが適当だろうか。江戸時代に最も普通の「禁裏」「禁中」であろう。「朝廷と幕府」ではなく、「公儀と禁裏」と表現する時、現在の通念とはやや違う図柄が浮かび上がってくるはずである。
-------

「朝廷」は京都、「幕府」は江戸という通念が歴史的に形成された経緯は理解できましたが、では渡辺氏の提案に従って「朝廷」を「禁裏」「禁中」に置き換えてみるとどうなるか。
ま、機械的な置き換えは単なる馴れの問題として解消できるのかもしれませんが、派生語は非常に作りにくくなりますね。
あっさりと淡白な「朝」に比べ、「禁」には濃厚な意味が充満しているので、例えば「朝政」「朝臣」「朝堂」を「禁政」「禁臣」「禁堂」と置き換えてみると、混同・混乱の可能性は大きそうですね。
また、そうした現実論とは別に、渡辺氏の置き換え方針が理論的に正しいのだろうか、という疑念もあります。
東島氏の論文に引用されている佐藤進一の「史料概念」と「分析概念」の把握の仕方と照らし合わせてみると、渡辺氏の基本的な発想は、従来用いられてきた「分析概念」に「水戸学」や「皇国史観」の残滓といった何らかの瑕疵がある場合、「当時最も普通の呼称を使うのが、自然」(p5)であるから「史料概念」に置き換えよ、ということになります。
しかし、個々の史料に即して考えてみると、複数の史料に同一の「史料概念」が記されてあっても、それが同じ意味で用いられている保証はありません。
同時代史料であっても異なる意味で用いられている可能性はありますし、まして時代が経過すれば意味の変遷も当たり前です。
ということは、「当時最も普通の呼称を使うのが、自然」という渡辺氏の方針に従うと、論理的な明晰さが要求される「分析概念」に「史料概念」の曖昧さが混入することを許す結果となります。
これは重大な欠陥であって、「自然」を大切に、という渡辺氏の方針は現実的に無理が多いだけでなく、理論的にも根本的な欠陥を抱えているのではないかと思います。

>筆綾丸さん
>氏偏愛の「江湖」に、臆面もなくよく曝せたものだ

東島氏は歴史学研究会・史学会・政治思想学会・東京歴史科学研究会に所属しているそうですが、さすがにこの内容だと査読のある学会誌に載せるのは無理っぽい感じですね。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「黒社会(黒道)」2019/07/15(月) 16:09:45
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B9%96
「花幕府」のところですが、こんな駄文を、氏偏愛の「江湖」に、臆面もなくよく曝せたものだ、とその度胸に呆れました。

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B9%96
中文には、江湖は黒社会(黒道)の代称とあるので、これによって、黒幕の傀儡が江湖のパシリだということがわかりますね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「「室町幕府」の代案はある... | トップ | 「公儀」と師弟愛(その2、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」」カテゴリの最新記事