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高埜利彦氏とフランス

2016-02-26 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 2月26日(金)11時56分45秒

安丸良夫氏に脱線したついでに、ちょっと高埜利彦氏にも脱線してみます。
近世史に疎い私でも、高埜利彦氏が近世宗教史研究のリーダー的役割を担ったことは知っていましたが、1947年生まれの高埜氏が1989年に出した『近世日本の国家権力と宗教』(東京大学出版会)の「序」には、俄かエマニュエル・トッド信奉者にとってはなかなか興味深い記述がありますね。

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  序

 戦後生まれの私が育った東京の街には、戦争への反省が至るところに溢れていた。そんなころ、子供であった私の耳に、はかり知れぬ奥深い響きを伝えていたのが、「赤紙一枚」という言葉であった。
 大日本帝国の軍隊による召集令状、俗に赤紙は、その紙切れ一枚で、突然、否も応もなく家族から父親や息子を引きさき、学徒たちからは学問を、挙句に命をも奪ったのであった。戦いすんで、かろうじて生き還れた大人たちが、折にふれ、重い口調で「赤紙一枚で」と言の葉に乗せた時の口元には、一様に口惜しさに似たゆがみのあったことを、子供心に感じたことを覚えている。
 大人たちはなぜ赤紙を破り捨てて召集を拒まなかったのだろうか、と子供心に思った。しばらくしてから思ったのは、誰もが破ることのできなかった赤紙の、奥の威圧感とは何だったのだろうか、という疑問で、これはその後も抱かれ続けてきた。その後、歴史学を学んだ私なりの粗略な理解を試みれば、かつて大人たちが破ることのできなかった赤紙とは、それが戦前の圧倒的な国家権力そのものであり、これに比べて個人の権利はあまりに微弱であったこと、そしてその対比が赤紙について語る時の生き残れた大人たちの口惜しさの原因であった、と今の私は考えるのである。
 この圧倒的な国家権力を形づくった主要素に、天皇制と国家神道があったことも、歴史学を通して学んできた。「近世日本の国家権力と宗教」を本書のテーマに据えたことの、これが遠い所以である。
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ま、ここまではエマニュエル・トッドは全然関係ありません。
同書の「あとがき」を見ると、「東京大学史料編纂所の公募に辛うじて合格」(p316)した高埜氏は歴史科学協議会の中心メンバーでもある山口啓二氏の指導を受け、先輩には宮地正人氏などがいたそうですから、ごく普通の左翼的な歴史研究者の一員として「国家権力」・「天皇制」・「国家神道」に対する強い否定的感情を共有していただけの話ですね。
気になるのはその後の部分です。

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 強力な国家権力と個人の脆弱な権利、という戦前の関係は、アジアや欧米、そして日本の人々の筆舌に尽くせぬ犠牲によって改められ、戦後は天皇制や国家神道の改廃とともに、個人の権利は保証されるようになったと確かに思ってきた。しかし、戦前とは異質ながらも、依然、今日(一九八九年)に至っても、国家に対する個人の権利の薄弱さ、共同体や社会の目からは決して自由になれない自主性の乏しさは、フランス社会の中で僅か一年間(一九八六年)ながら身を置いて外から日本を眺めた私に、改めて痛感された。フランスでは、個々の人が国家や社会や共同体からじつに自立して、堂々と生きていることが感じられ、彼我の違いを強く意識させられたのである。このようなフランスの国民性は、もちろん一朝一夕に成ったものではなく、多大の犠牲(フランス革命やレジスタンスなどなど)を国民が払って、歴史が積重ってできあがったものであるのは言うまでもない。
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ま、これ自体も特に珍しい見解ではなく、1970年代くらいまでは、いわゆる進歩的文化人、岩波文化人はみんなこんなことばかり言っていました。
近代的革命を経ていない日本人には近代的自我がない、みたいな話ですね。
俄かエマニュエル・トッド信奉者の私が面白いと思ったのは、高埜氏が「個々の人が国家や社会や共同体からじつに自立して、堂々と生きていることが感じられ、彼我の違いを強く意識させられた」フランスとは、おそらくパリ周辺の平等主義的なフランスであって、「ゾンビ・カトリシズム」のフランスではない、ということです。
1989年といっても「あとがき」は「一九八九年四月」となっているので、この本を出されたときの高埜氏は同年6月の天安門事件、11月のベルリンの壁崩壊を知らない訳ですが、あれから四半世紀が過ぎてフランスもずいぶん変化しましたから、最近のパリ留学生は、どんなにのんびりした性格の人でもかつての高埜氏ほどの無邪気なフランス賛美はできないでしょうね。

安丸良夫氏と異なり、高埜利彦氏はあまり政治的な発言はされないようですが、あるいは既にゾンビ・マルクス教徒になっていて、残っているのは国家への否定的感情くらいなんですかね。

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/let/hist/staff/takano.html

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