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「(藩が)一種の衒学的な流行語となったきっかけは、……人気学者荻生徂徠が愛用したこと」(by 渡辺浩氏)

2019-07-17 | 東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 7月17日(水)23時00分20秒

渡辺浩氏が提唱する日本史NGワード四天王のうち、最弱なのは三番目の「天皇」ですね。
渡辺氏の基礎的な事実認識に誤りがあるので、説得力に乏しい論証になっています。

「従来の日本史用語の思想性も衝き,斬新なパースぺクティブを提示」しているのか?
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ba4cc945ee3685187fa0a01889bdf430
一応のまとめ:二人の東大名誉教授の仕事について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c72b9e6513f8ed3423832948724b2c3b

そして四番目の「藩」ですが、こちらも快刀乱麻とは言い難く、かなり屈折した説明になっていますね。(p8以下)

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 四 「藩」

 周知のように、「藩」の語は、江戸時代においては公式の用語ではなく、明治二年(一八六九)の「版籍奉還」からその二年後の「廃藩置県」までの間、公式の名称であったにすぎない。一般化したのは十八世紀半ば以降である。
 先駆的には、例えば木下順庵が「宗藩甲府君。好学楽善」(「賜五経四子記」)、「肥州細川公。西国大藩也」(「静女赤心図」)と書き、その弟子新井白石が、徳川綱豊(後の家宣)の邸を「藩邸」と呼び、書簡でも「賢藩へさし上候ひし迄にて」等と書き、そして『藩翰譜』を著した例がある。しかし、一方で、伊藤東涯は「本鎮」「鎮兵」「江州膳所ノ鎮ニ仕ヘ…」等と書いている。享保頃でも「藩」が一般的だったわけではない。
 しかし、それが一種の衒学的な流行語となったきっかけは、東涯の同時代人、人気学者荻生徂徠が愛用したことであろう。彼は「貴藩」「弊藩」「吾藩」「親藩」「外藩」「大藩」「一藩」「藩大夫」「藩有司」「藩門」「長藩」「常藩」等と、頻繁にその文集で書いている(『徂徠集』)。門人、服部南郭も、これに倣っている(『南郭先生文集』)。その後、徐々にこの語の漢学臭も薄れていったのである。
 それは、単に言葉の問題ではなかったであろう。「御家中」と「藩」は違う。「誰々家来誰々」と「何々藩誰々」は違う。「誰々様の下より出奔」するのと「脱藩」するのは違う。その背後には、江戸時代の間に武士たちが、いわば、「主君に仕える武者」から、「藩に勤める役人」へと変身したという事実、その組織の在り方も、いわば個人的忠誠関係の束から、一種の「株」となった「家」々の連合体へと変質したという事実が、あった。その新しい状況に対応して、新しい語が必要となり、たまたま(例えば「鎮」ではなく)「藩」が採用されていったのであろう。
 だとすれば、江戸時代中期以降ならともかく、その初期について「何々藩」などというのは、誤解を招きやすい時代錯誤的表現だということになる。
 本書では、「藩」の語は、その点を注意して用いることにする。また、「幕藩体制」の語は、「幕」も「藩」も問題含みである以上、用いないことにする。
 江戸時代の政治体制は、端的に「徳川政治体制」と呼ぶ。
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「藩」については、僅か二年間ではあっても「公式の名称」になったことがあり、そうした公式採用の前提に「十八世紀半ば以降」、既に「一般化」が進んでいたという実情がありますから、現代の「抹殺博士」である渡辺氏も全面的な使用禁止に踏み切ることはできず、「注意して用いることにする」という具合に曖昧な対応ですね。
「江戸時代中期以降なら」「誤解を招きやすい時代錯誤的表現」でもなく、まあ、よかろう、ということらしいですが、具体的な区別には困難を感ぜざるをえない曖昧な基準です。
『東アジアの王権と思想』をざっと眺めると、やはり「藩」はそれほど頻繁には登場せず、「大名」「大名家」などに置き換わっているようですが、例えば、

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 ところが、十八世紀も半ばを過ぎると、大名が家来のために学校(藩学、藩校)を設ける例が尻上りに増加する。石川松太郎氏によれば、宝暦─天明の間(一七五一年-一七八八年)に五〇、寛政─文政の間(一七八九年-一八二九年)に八七、天保─慶応の間(一八三〇年-一八六七年)に五〇の大名家で、規模は様々であるものの、武士のための教育施設が設けられたという。
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といった文章(p125以下)を見ると、やはり渡辺氏は「藩」を含む派生語の扱いに苦労されているようですね。
ま、傍から見ると、あまり生産的ではない苦労のような感じがしますが。

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