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「公儀」と師弟愛(その2、増補新装版)

2019-07-17 | 東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 7月17日(水)12時14分59秒

「幕府」「朝廷」「天皇」「藩」の四つの語を使わずに近世史を論じるのはなかなか大変そうなので、渡辺浩氏に追随する研究者が存在するのかが気になるところですが、私も最初は、

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渡辺氏のような、特定の概念だけに偏執的なこだわりを見せる変人が「幕府」ではなく「公儀」と呼ぶべきだと主張しても、ま、結局は誰からも相手にされずに終わるのではないかと思います。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9c98d53b1b8c239d74840025286625cc

などと思っていました。
しかし、苅部直氏(東京大学法学部・大学院法学政治学研究科教授、アジア政治思想史)は「幕府」をNGワードにされていますね。
同氏の『歴史という皮膚』(岩波書店、2011)の最終章、「「利欲世界」と「公共之政」─横井小楠・元田永孚─」の注31には、

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(31) 本章では「幕府」ではなく「徳川政権」の呼称を用いる。徳川時代には、(最末期を例外として)江戸の「御公儀」を、京都の「禁裡様」からの委任を受けて権力を行使する「幕府」と呼ぶなどということは一般にはなかったことを重視し、皇国史観による武家政権観の臭味を帯びない表現を採用したのである。ちなみに、一八七七-八二(明治十-十五)年刊行の田口卯吉『日本開化小史』(岩波文庫、一九六四年)は「徳川政府」と呼んでおり、明治時代には徳富蘇峰や山路愛山も「徳川政府」の語を用いている。一九三八(昭和十三)年の長谷川如是閑『日本的性格』第五章(『近代日本思想大系15 長谷川如是閑集』筑摩書房、一九七六年、所収)にも「徳川政府」の呼称が見えることを考えると、歴史叙述用語として使われるのが「幕府」のみとなったのは、いくぶん新しいことと思われる。
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とあります。(p269)
渡辺氏に従って「皇国史観による武家政権観の臭味を帯び」た「幕府」は使わないけれども、代替として「公儀」ではなく「徳川政権」を採用されたのですね。
ただ、『歴史という皮膚』の六年後に出た『「維新革命」への道―「文明」を求めた十九世紀日本』(新潮選書、2017)の用例を見ると、苅部氏は「徳川政権」よりむしろ「公儀」を多用されており、何故に「徳川政権」で一貫させないのか、ちょっと不思議です。
あるいは六年の間に師弟愛がいっそう深まったのでしょうか。

「皇国史観による武家政権観の臭味を帯びない表現を採用」(by 苅部直)
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e3e7d16b53c4196faa65ea0bea225418
「公儀」と師弟愛
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ddd3bf147869a0ba31c9d500db9c45e6

苅部氏の『「維新革命」への道』は世間的には評価が高いようで、例えば山崎正和氏は毎日新聞の書評欄で同書を「2017 この3冊」の一冊に選ばれていますが、私はあまり感心しませんでした。

山崎正和氏の『「維新革命」への道』への評価について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/81a04f41be09e3c6518fc6d6fd26b766

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