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三谷太一郎氏への違和感

2019-07-20 | 石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?」

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 7月20日(土)22時07分59秒

>キラーカーンさん
>「統帥権の独立」

三谷太一郎氏の『日本の近代とは何であったか』は以前少し検討しましたが、これは同書における徳富蘇峰・深井英五に関する引用の仕方が妙な具合だったのがきっかけでした。
そのため、同書にはあまり良い印象がなかったのですが、今回、最初から読み直してみたら、割と素直に読めて、ご指摘の統帥権の独立に関する記述などスッキリと分かりやすく、あれれ、意外と良い本ではないかと思ったものの、「第四章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか」に入ると、やはり変な記述が多いですね。
「国家神道」を含め、宗教は三谷氏の世代の「リベラル」な学者たちの共通の弱点だなあと改めて思います。
そして、「終章 近代の歩みから考える日本の将来」は違和感を覚えるところだらけで、三谷氏との深刻な断絶を感じました。
『日本の近代とは何であったか』、改めて少し真面目に検討してみますかね。

「深井君、よく考えて見ると、露帝も独帝もわが輩を改宗せしめた恩人だよ」(by 徳富蘇峰)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1543ee9d89dede0bfc90a8223effdce3
「君は寧ろ小心に過ぐると云ふべき程、堅実性に富んだ人」(by 徳富蘇峰)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/17178b5822ec444daee2a9189daf90d8
三谷太一郎『ウォールストリートと極東─政治における国際金融資本』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/463632d2cd053146c0c980e436ad1c01
渡辺浩『東アジアの王権と思想』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/43c3ac99f60328684c051ac54137a751

>筆綾丸さん
>「幕府」否定論者たちの、かくも不毛な情熱

渡辺浩氏の『東アジアの王権と思想』は「序 いくつかの日本史用語について」がダメなだけで、後はけっこう良い論文集ですね。
特に「増補新装版」で加えられた「「宗教」とは何だったのか」は本当に優れた論文です。
「序 いくつかの日本史用語について」は「と、殿、御乱心!」てな感じですね。

※キラーカーンさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

駄レス 2019/07/20(土) 02:10:33(キラーカーンさん)
お久しぶりです

>>「統帥権の独立」
米国憲法でも、「大統領(PRESIDENT)」と「最高司令官(COMMANDER IN CHIEF)」は
併記されていますので、本来的な統帥権の独立は

>>あくまでも権力分立制のイデオロギー
といった所だったのでしょう。

個人的には、政府の長が有している権限をめぐる行政権VS執政権論争に
それを解くカギがあるとにらんでいますが。

衒学参謀 2019/07/20(土) 12:12:59(筆綾丸さん)
https://urag.exblog.jp/7626055/
ヴェルギリウス『アエネーイス』の「 quae lucis miseris tam dira cupido ? 」(光へのかくも不吉な欲望とは何なのか)ではありませんが、「幕府」否定論者たちの、かくも不毛な情熱は何処からくるのか、といったところで、要するに、閑人なのではあるまいか、という気がします。

芥川龍之介『玄鶴山房』をもじって、東島氏を「衒学参謀」とでも褒めておきますか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B3%B6%E4%BA%80%E4%BA%BA
参謀といえば、東島氏とは何の関係もありませんが、黒島亀人という衒奇症的なヒトがいましたね(このヒトは、亀なのか人なのか、よくわからないところがミソですが)。

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