投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 1月18日(土)13時30分49秒
前々回の投稿で書いたように、ニコライが「イエス・キリストの神性を信じない人々は、たとえば、海老名や植村たちのようにたいていは組合派に属している」と書いている点は誤解、というかニコライの無関心の反映ですね。
海老名弾正(1856-1937)や植村正久(1858-1925)が日本のプロテスタント界でどれだけ大物だとしても、ニコライ(1836-1912)にとってみれば、つい最近本格的にキリスト教の導入を始めたばかりの国の、自分より20歳以上年下の若輩者に過ぎません。
ただ、両者の思想の違いは、明治日本の思想動向を見る上ではそれなりに重要なので、ウィキペディアへのリンクでお茶を濁すのではなく、日本キリスト教史の中での位置づけを確認しておきたいと思います。
そこで、立教大学名誉教授・鈴木範久氏の『日本キリスト教史─年表で読む』(教文館、2017)から少し引用します。(p174以下)
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3 海老名・植村論争(一九〇一年)
日本組合基督教会に属する海老名弾正と日本基督教会に属する植村正久との間に、一九〇一(明治三四)年から翌年にかけて交わされたキリストの神性をめぐる論争がある。前述の「自由キリスト教と新神学」を受け継いだ性格の論争ともいえる。
論争の発端は、海老名がキリストを「神」とする植村の所論に疑問を唱えたことから始まる。両者の応答は、事実上海老名の主宰する雑誌『新人』と、植村が中心的存在の新聞『福音新報』を通じてなされた。
海老名は植村らの奉じる「三位一体」の思想を時代的産物とみなし、キリストと「神」との間にある「宗教的意識」としての「父子有親」を強調、そこではキリストは「神にしては人、人に対しては神」とみた。だが、あくまでキリストは「神」ではないとした。したがって、海老名においては、三位一体を唱える植村らの思想のもつ罪と贖罪の考えもなく、したがってキリストを救済者とみる思想もない。
両者のおもだった応答は次のとおり。
植村正久「福音同盟会と大挙伝道」『福音新報』三二四号、一九〇一年九月一一日
海老名弾正「福音新報記者に与ふるの書」『新人』二巻三号、同年一〇月一日
植村正久「海老名弾正君に答ふ」『福音新報』三二八号、同年一〇月九日
海老名弾正「植村君の答書を読む」『新人』二巻四号、同年一一月一日
植村正久「挑戦者の退却」『福音新報』三三二号、同年一一月六日
海老名弾正「再び福音新報記者に与ふ」『新人』二巻五号、同年一二月一日
植村正久「海老名弾正氏の説を読む」『福音新報』三三七号、同年一二月一一日
(これらの論争を集めたものとして福永文之助編『基督論集』(警醒社書店、一九〇二)がある)
このあと海老名が「三位一体の教義と予が宗教的意識」を『新人』二巻六号(一九〇二年一月一日)に発表後、論争は植村はもとより、三並良、小崎弘道、アルブレヒト(George E.Albrecht)、高木壬太郎も意見を発表、日本のキリスト教界の神学論争として稀有なほどの関心を集めた。
また、右の海老名のキリスト観「神にしては人、人に対しては神」は、ユニテリアンたちのキリストをあくまで「神」ではなく人とみる思想との違いがわかりがたい。これに対し海老名は『基督教本義』(日高有隣堂、一九〇三)を著し、今少しわかりやすい説明を与えている。同書によるとキリストは「人類以上としての超絶ではない、人類其のものとしての超絶である」とみている。この言葉の限りでは、植村らのいう「神」ではない。
さらにキリスト教の本義を、「正義公道の霊、博愛慈善の霊」とみて、その霊の完全な発露がキリストの「宗教意識」であり、そのキリストの「宗教意識」と一体化して生きることとする。ここにはキリスト教の儒教的、陽明学的理解がみられ、海老名の門より少なからぬ社会事業家の生じる一因となる。
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ま、長々と引用しましたが、私には海老名理論とユニテリアンの違いがきちんと理解できません。
ただ、これだけプロテスタントの本流と異質な考え方をする人が教会を離脱しないばかりか、後に同志社の総長にまでなることは、ちょっと不思議な感じがします。
この点、鈴木範久氏は次のように「自由キリスト教と新神学」の時代からの変化で説明されます。
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植村・海老名の論争は、これまで日本のキリスト教界では見過ごされてきた「神学と信仰との関係」が関心を高める役割を果たした。それのみでなく、先の「自由キリスト教と新神学」の時代においては、「新神学」は金森通倫および横井時雄らが教職を去るほどの衝撃を与えたのに反し、今回の一方の中心人物である海老名は、教会内にとどまり同志社総長にも迎えられる。このことは、聖書の歴史的研究の浸透をもあらわすものとみてよい。
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ということで、信仰の深化と肯定的にとらえるのが多くのキリスト教史研究者の見方なのでしょうね。
ただ、こういう理屈っぽい話について行けない古くからの信者も相当いたように思われます。
かつて見られたようなプロテスタント信者の爆発的増大がなくなる原因のひとつとして、こうした理論的な争いの複雑・先鋭化を挙げてもよいのかもしれません。
なお、三並良・金森通倫・横井時雄については、以前、深井英五を検討した際に少し言及したことがあります。
「教祖を神とせずとも基督教の信仰は維持されると云ふのが其の主たる主張」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dba8684a32224ba07f9d5669214ebcee
「宗教を信ぜずと言明する人の中に却て宗教家らしい人がある」(by 三並良)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/caa939de572224d0778a282b372bfddf
「マルクスの著作の訓詁」の謎、回答編
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/34b1e7e6eca291c2adcbfaf5fcb38167
『日本に於ける自由基督教と其先駆者』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9b7538250dc17e008116840e7344e915
金森通倫の「不穏な精神」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3714454a5575dd567a9c5144dab52b65
前々回の投稿で書いたように、ニコライが「イエス・キリストの神性を信じない人々は、たとえば、海老名や植村たちのようにたいていは組合派に属している」と書いている点は誤解、というかニコライの無関心の反映ですね。
海老名弾正(1856-1937)や植村正久(1858-1925)が日本のプロテスタント界でどれだけ大物だとしても、ニコライ(1836-1912)にとってみれば、つい最近本格的にキリスト教の導入を始めたばかりの国の、自分より20歳以上年下の若輩者に過ぎません。
ただ、両者の思想の違いは、明治日本の思想動向を見る上ではそれなりに重要なので、ウィキペディアへのリンクでお茶を濁すのではなく、日本キリスト教史の中での位置づけを確認しておきたいと思います。
そこで、立教大学名誉教授・鈴木範久氏の『日本キリスト教史─年表で読む』(教文館、2017)から少し引用します。(p174以下)
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3 海老名・植村論争(一九〇一年)
日本組合基督教会に属する海老名弾正と日本基督教会に属する植村正久との間に、一九〇一(明治三四)年から翌年にかけて交わされたキリストの神性をめぐる論争がある。前述の「自由キリスト教と新神学」を受け継いだ性格の論争ともいえる。
論争の発端は、海老名がキリストを「神」とする植村の所論に疑問を唱えたことから始まる。両者の応答は、事実上海老名の主宰する雑誌『新人』と、植村が中心的存在の新聞『福音新報』を通じてなされた。
海老名は植村らの奉じる「三位一体」の思想を時代的産物とみなし、キリストと「神」との間にある「宗教的意識」としての「父子有親」を強調、そこではキリストは「神にしては人、人に対しては神」とみた。だが、あくまでキリストは「神」ではないとした。したがって、海老名においては、三位一体を唱える植村らの思想のもつ罪と贖罪の考えもなく、したがってキリストを救済者とみる思想もない。
両者のおもだった応答は次のとおり。
植村正久「福音同盟会と大挙伝道」『福音新報』三二四号、一九〇一年九月一一日
海老名弾正「福音新報記者に与ふるの書」『新人』二巻三号、同年一〇月一日
植村正久「海老名弾正君に答ふ」『福音新報』三二八号、同年一〇月九日
海老名弾正「植村君の答書を読む」『新人』二巻四号、同年一一月一日
植村正久「挑戦者の退却」『福音新報』三三二号、同年一一月六日
海老名弾正「再び福音新報記者に与ふ」『新人』二巻五号、同年一二月一日
植村正久「海老名弾正氏の説を読む」『福音新報』三三七号、同年一二月一一日
(これらの論争を集めたものとして福永文之助編『基督論集』(警醒社書店、一九〇二)がある)
このあと海老名が「三位一体の教義と予が宗教的意識」を『新人』二巻六号(一九〇二年一月一日)に発表後、論争は植村はもとより、三並良、小崎弘道、アルブレヒト(George E.Albrecht)、高木壬太郎も意見を発表、日本のキリスト教界の神学論争として稀有なほどの関心を集めた。
また、右の海老名のキリスト観「神にしては人、人に対しては神」は、ユニテリアンたちのキリストをあくまで「神」ではなく人とみる思想との違いがわかりがたい。これに対し海老名は『基督教本義』(日高有隣堂、一九〇三)を著し、今少しわかりやすい説明を与えている。同書によるとキリストは「人類以上としての超絶ではない、人類其のものとしての超絶である」とみている。この言葉の限りでは、植村らのいう「神」ではない。
さらにキリスト教の本義を、「正義公道の霊、博愛慈善の霊」とみて、その霊の完全な発露がキリストの「宗教意識」であり、そのキリストの「宗教意識」と一体化して生きることとする。ここにはキリスト教の儒教的、陽明学的理解がみられ、海老名の門より少なからぬ社会事業家の生じる一因となる。
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ま、長々と引用しましたが、私には海老名理論とユニテリアンの違いがきちんと理解できません。
ただ、これだけプロテスタントの本流と異質な考え方をする人が教会を離脱しないばかりか、後に同志社の総長にまでなることは、ちょっと不思議な感じがします。
この点、鈴木範久氏は次のように「自由キリスト教と新神学」の時代からの変化で説明されます。
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植村・海老名の論争は、これまで日本のキリスト教界では見過ごされてきた「神学と信仰との関係」が関心を高める役割を果たした。それのみでなく、先の「自由キリスト教と新神学」の時代においては、「新神学」は金森通倫および横井時雄らが教職を去るほどの衝撃を与えたのに反し、今回の一方の中心人物である海老名は、教会内にとどまり同志社総長にも迎えられる。このことは、聖書の歴史的研究の浸透をもあらわすものとみてよい。
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ということで、信仰の深化と肯定的にとらえるのが多くのキリスト教史研究者の見方なのでしょうね。
ただ、こういう理屈っぽい話について行けない古くからの信者も相当いたように思われます。
かつて見られたようなプロテスタント信者の爆発的増大がなくなる原因のひとつとして、こうした理論的な争いの複雑・先鋭化を挙げてもよいのかもしれません。
なお、三並良・金森通倫・横井時雄については、以前、深井英五を検討した際に少し言及したことがあります。
「教祖を神とせずとも基督教の信仰は維持されると云ふのが其の主たる主張」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dba8684a32224ba07f9d5669214ebcee
「宗教を信ぜずと言明する人の中に却て宗教家らしい人がある」(by 三並良)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/caa939de572224d0778a282b372bfddf
「マルクスの著作の訓詁」の謎、回答編
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/34b1e7e6eca291c2adcbfaf5fcb38167
『日本に於ける自由基督教と其先駆者』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9b7538250dc17e008116840e7344e915
金森通倫の「不穏な精神」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3714454a5575dd567a9c5144dab52b65