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小川剛生「『増鏡』の問題」(その2)

2020-01-27 | 『増鏡』の作者と成立年代(2020)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 1月27日(月)11時23分4秒

1971年生まれの慶応大学教授・小川剛生氏は、『増鏡』に関する最初の本格的な論文「北朝廷臣としての『増鏡』の作者─成立年代・作者像の再検討─」(『三田国文』32号)を2000年に発表されていますが、この論文は本当に円熟した筆致で描かれていて、とても二十九歳の若手研究者が書いたとは思えない内容です。
そして小川氏は五年後に『二条良基研究』(笠間書院、2005)を出され、国文学のみならず歴史学研究者からも絶賛されましたが、同書の「終章」は『増鏡』の成立年代について前論文を踏襲した上で二条良基監修説を提示しています。
即ち、前論文を受けて『増鏡』の成立年代を従来の通説より相当前に置いた結果、直接の作者として1320年生まれの二条良基を想定することが困難となったため、小川氏は丹波忠守という人物を作者と推定した上で、「増鏡は良基の監修を受けたというような結論にもあるいは到達できるかもしれない」とされました。
私は丹波忠守程度の身分の者では『増鏡』作者に全く相応しくないと思うので、『二条良基研究』の「終章」は個人的にはあまり感心できませんでした。
そこで、当掲示板で若干批判しました。

「そこで考察しておきたいのは、やはり増鏡のことである。」(by 小川剛生氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/49dbeba4c7774d1eb4f141136f759990
「二条良基が遅くとも二十五歳より以前に、このような大作を書いたことへの疑問」(by 小川剛生氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4e837cb0f61b5b824a6eff499a04cc9f
「そもそも<作者>とは何であろうか」(by 小川剛生氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/16665e8f7d97eaf7bdb417181c2f1cb2
「後醍醐という天子の暗黒面も知り尽くしてきた重臣たち」(by 小川剛生氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a5c7d07b297545c971292249247e7391
「増鏡を良基の<著作>とみなすことも、当然成立し得る考え方」(by 小川剛生氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4f997bafafa8b1a1bb6d5bd12546fa69

今回、人物叢書『二条良基』において、小川氏は『増鏡』の成立年代についての自説を全面的に撤回し、大幅に後ろにずらして従来の通説に従うことにされたので、丹波忠守の必要性もなくなり、その名前は消えています。
しかし、従来の通説に復帰したことにより、小川氏は「北朝廷臣としての『増鏡』の作者」で自身が批判された従来の通説の欠点を全て引き受けることになったばかりか、新たな問題点も抱え込むことになったように思われます。
というのは、『増鏡』の問題とは全く別個独立に、小川氏は「即位灌頂」という儀礼を創出して二条家の権威を高めた二条師忠という人物について詳しく研究され、その二条家にとっての重要性を解明されたのですが、実は二条師忠は『増鏡』の中で極めて滑稽な役回りを演じさせられています。
『増鏡』全体において摂関家の存在感は極めて稀薄なのですが、他家はともかく、二条家にとって特別な功績を持つ二条師忠すら、直接の子孫である二条良基が軽く扱うようなことがあり得るのか、私は疑問に思いますが、小川氏にはそのような問題意識はないようです。
さて、三段階を経て変遷した小川氏の『増鏡』の成立年代・作者論のうち、私には一番最初の「北朝廷臣としての『増鏡』の作者」が最も優れているように思えるのですが、この論文については今まできちんと検討したことがありませんでした。
そこで、この論文に即して、『増鏡』の成立年代・作者論を改めて考えてみたいと思います。
なお、「北朝廷臣としての『増鏡』の作者」は「慶應義塾大学学術情報リポジトリ」で全文を読むことができます。

http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00296083-20000900-0001

また、「北朝廷臣としての『増鏡』の作者」で参照されている文献の多くは私の旧サイト「後深草院二条─中世の最も知的で魅力的な悪女についてー」で読めるようにしていたのですが、同サイトは2016年に閉鎖されてしまいました。
しかし、私自身も知らない間に「INTERNET ARCHIVE」で保存されていたので、現在はこちらで読めます。

「後深草院二条─中世の最も知的で魅力的な悪女についてー」
http://web.archive.org/web/20150830085744/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/
『増鏡』-従来の学説とその批判-
http://web.archive.org/web/20150831083929/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/jurai2.htm
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