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中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』(その11)

2020-01-17 | 渡辺京二『逝きし世の面影』と宣教師ニコライ
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 1月17日(金)12時09分25秒

前回投稿で引用した「神田の青年会館でプロテスタントの日本人牧師たちが集会を開き「イエス・キリストは神か、神ではないのか」という題で論議した」という記事ですが、『宣教師ニコライの全日記 第7巻』を見ると、

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一九〇二年四月二日(一五日)、火曜。

 ほとんどが日本人からなるプロテスタント牧師や伝道師たちが、今月の一一日からこの界隈にある青年会館で集会を開いている。さまざまな議題のなかで、「イエス・キリストは神か否か」という投票が行われた。「神であるに投票した者は一一〇人、神でないが六人、どちらとも言えないが三三人であった」。キリスト教の宣教にとってなんと恥ずべき結果であろう。プロテスタント教団は疑念によって、まるで錆のように蝕まれている。
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とあります。(p101)
同日はこれで全文です。
ニコライは日付を最初にロシア暦(ユリウス暦)で、ついで括弧内に新暦(グレゴリウス暦)で記していますが、「今月の一一日から」以下を過去の出来事として描いているので、これはグレゴリウス暦の4月11日のことですね。
また、中村氏は「この界隈」を神田と解されたのでしょうが、同年6月8日の記事に、4月11日から横浜で開かれたプロテスタントの集会のことが出ていて、4月15日の記事と同じ集会のように読めます。
非常に細かな話になりますが、この当時のプロテスタントの状況を伺わせる記事でもあるので引用してみます。(p117)

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一九〇二年五月二六日(六月八日)、日曜。

 プロテスタント系の定期刊行物は日本福音同盟会(Japan Evangelical Alliance)の混乱を槍玉にあげている。新暦の四月一一日から横浜でこの同盟会の「第一一回総会(Eleventh General Conference)」が開催された。きのうの“Japan Daily Mail”〔『ジャパン・デイリー・メール』〕の Monthly Summary of the Religious Press〔宗教刊行物の月間要約〕の記事には、この一連の会議で起きたことが、プロテスタント系の新聞『福音新報』『六合雑誌』からの抜粋によって簡潔に描かれている。それよりも早く、六月三日の“Japan Daily Mail”紙に載ったあるプロテスタント宣教師(Reverend Wendt〔ヴェント師〕)の書簡にも同様の記述が見られる。
 同盟の憲法第一項にはこううたわれている。「福音同盟会の目的は、福音という共通名称で呼ばれる諸原理を有する全教会の相互関係をより緊密にし、社会にキリスト教の精神を示すことである(make known to societry the spirit of Christianity)」と。
 この同盟には今日までイエス・キリストを神であると信仰告白する人々も、その神性を認めない人々も所属していた。前者に属する多くの人々はこのような合同を好ましく思っていなかった。このため、四月一二日の会議では、この第一項に「福音の諸原理を保持する者とは、人々を救うためにこの世に降りしイエス・キリストは神であることを信ずる者のことである」という説明を補足すべしとの提案がなされた。熱い議論が起こった。結果としては、採決に必要な票数が不足したために、提案は否決された。同盟会の憲法にしたがえば、三分の二の賛成票がなければ、憲法の諸規則になにも付け加えることができないことになっていた。本提案にたいしては、賛成が八一票、反対が四四票であった。これは土曜日のことである。
 ところが四月一四日月曜日に、もし土曜日に否決された提案が採択されなければ、同盟会の議事は停止される(will be brought to a standstill)という口実により、それがふたたび総会で提案され、議論もなく投票され、三分の二を優に超える大多数の賛成によって採択されたのである。“Japan Evangelist”〔『ジャパン・エヴァンジェリスト』〕誌(Vol.IX,N5,May)は総会レポートのなかで、この決定を摂理(Providential)の働きと呼んでいるが、ヴェント師は摂理のこうした冒涜を嘲笑してこう言っている。「土曜日には摂理が一つの決定を下したが、月曜にはそれにまったく矛盾する決定を下した。ならば、組合派がとりわけ強く、数も多い大阪の次の総会では、摂理はおそらくまた以前の決定に戻ることだろう」。さらにヴェント師は同胞者の思想の自由を抑圧する人々と「福音」という語の定義の狭さにたいして憤慨している。
 これに関しては『六合雑誌』がそれにもまして憤激をあらわにする。この雑誌は正統派のこの決定を、中世を思わせる異端弾圧であると、論文「福音同盟会の異端征伐」のなかで称している。これは総じて、プロテスタント自身に「同盟会はキリスト教徒を緊密な絆で結びつけることを主たる目的としてはじまったものの、けっきょくはかれらをあらんかぎりの相互反目へと導く結果となった(The Alliance, which began by making it its chief object to unite Christians in closer ties, has ended by setting them at loggerheads as much as possible)」ことを自覚させようとするものである。イエス・キリストの神性を信じない人々は、たとえば、海老名〔弾正。日本組合監督教会牧師〕や植村〔正久。日本基督教会牧師〕たちのようにたいていは組合派に属している。そこでこれら本質的にはキリスト教徒でない人々を福音同盟会から除名しようという大がかりな憤激がわき起こっているのだ。まったくプロテスタントには唖然とさせられる。かれらは人類のキリスト教化を掲げながら、このような錆びついた俗信によって、核心から遠ざかっていくことになる。
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まったく同時期に、これだけの規模の会議が神田と横浜で開催されるということも考えにくいですから、同じ集会と見做してよいのでしょうね。
私もプロテスタントの理論面は全然分かりませんが、植村正久が組合派というのはちょっと変ですね。

海老名弾正(1856-1937)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%90%8D%E5%BC%BE%E6%AD%A3
植村正久(1858-1925)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9D%91%E6%AD%A3%E4%B9%85
植村・海老名キリスト論論争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9D%91%E3%83%BB%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%90%8D%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E8%AB%96%E8%AB%96%E4%BA%89
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