学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』(その18)

2020-01-24 | 渡辺京二『逝きし世の面影』と宣教師ニコライ
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 1月24日(金)11時34分13秒

それでは1889年1月14日の記事を見てみます。(『宣教師ニコライの全日記 第2巻』、p240以下)

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一八八九年一月二日(一四日)、月曜。

 副島伯が新年の挨拶に来た。「議会(来年開催予定の)では、おそらく、日本にとっての信仰の問題が取り上げられるのでしょうね」というわたしの問いに答えて曰く。「そうはならないでしょう。なんとなれば、信仰に政府は関与しないのです。信仰は個人の意思に委ねられることになるでしょう」。「しかし、天皇はどんな信仰を持つことになるのですか」。「これはかれの個人的な問題です」。─「しかし、信仰は国家の見地から見てたいへん重要ですし、政府も信仰に対して無関心でいるわけにはいかないでしょう。日本は今、自分の信仰を模索する時期ですよ。ただ政府だけがどんな信仰が真の信仰であるかを調査し決める権限をもっているのです。個々の人間にとってこれを決めるのは難しいことです。手段も十分ではありません。個人は真理を見つけても、これを国家に伝える権威を持っていません。もし政府がこの問題で国民を助けることがないならば、ここにはあらゆる宗派が入り込んできて、日本を分断してバラバラにしてしまうでしょう」などなど。こうしたことをかれに説明したのは初めてではないが、きょうはわがヴラヂミル聖公〔九八八年にロシアが正教を国教と定めた時のキエフの大公〕がいかに真の信仰を探し出したか、話して聞かせた。政府に対するキリスト教諸派の対応のしかたの違いについても話した。ここにカトリックが入ってきたら、日本の天皇は教皇の僕〔しもべ〕(奴隷)になってしまうことだろう。もしプロテスタントが入ってくれば、信仰は政府に奉仕することになるだろう。さもなければ、今のアメリカ(「自由な国家における自由信仰」を標榜している)やフランスのように、政府によって殲滅されてしまうだろう。
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段落の途中ですが、いったんここで切ります。
ニコライの日記を読んでいると、その思考の明晰さ、実務処理能力の高さ、更には悪口雑言罵詈讒謗の面白さから、ついついニコライを現代人のように錯覚してしまいますが、宗教と国家の関係について「ただ政府だけがどんな信仰が真の信仰であるかを調査し決める権限をもっているのです」などと論ずるこのあたりの記述を見ると、発想の根本が全く異質な人であることに改めて驚かされます。
ただ、それは日本国憲法下の現代日本人にとって常識的な国家と宗教の関係が、漠然とアメリカ・フランスの「政教分離」観をモデルにしているからであって、現代でもドイツなどは「政教分離」にほど遠い状態ですね。
そして、帝政ロシアは国家と宗教が密着し、国家が宗教を監督し、財政的にも丸抱えする宗教国家であって、ニコライにとっては当然これが日本にとっても望ましい国家と宗教のモデルです。
さて、副島の反応をもう少し見ておきます。

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伯はこうしたことをみな聞いていたが、ただときおり「わたしは自分で信仰をこしらえますよ」などという、愚にもつかない反論で話の腰を折るのであった。あるいはどうやら、聞いていても耳に入らず、自分の考えに耽っているといった様子であった。というのは、この人はいい年をして、どんな宗教的信念の影響もいささかなりとも受けていないのである。かれを見ていると、日本がかわいそうになる。日本の最良の人々のうちの一人が、どうやら民衆の精神を代表し表現する人と見なされかねない。はたして(外国人が皆、日本人について評しているように)この国民は本気で宗教というものに期待するところがないのか、本性からして無関心あるいは無信心なのだろうか。
 いま東京で伝道活動をしているアメリカ渡来のユニテリアン派のナップ〔一八八七年来日、福沢諭吉の支援を受けて伝道した〕がどうやらかれのお気に入りらしいが、そのナップは、驚くほどに多数の聴衆と上流階級にも信奉者を持っているということだ。もしかりにほとんどゼロに等しい宗教信仰のひき割り麦の粒を、かれ〔副島〕がその精神の胃袋によって消化しおおせるとしても、真の信仰を渇望するほどに成長するには、まだ長い時間がかかることだろう。
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1月14日の記事はこれで終りです。
1月2日の記事では、副島は「わたし自身のことは別にして、─と彼は答えた─他の人たちの言うところによれば、プロテスタントです。官吏はみなそういっています。政府高官の娘たちの多くがプロテスタントを受け入れています」などと言っていますが、これは客観的分析に止まらず、別にそうなってもかまわない、なるようなればよいのだ、といったニュアンスを感じさせます。
そして、1月14日の記事では、政府が個人の信仰に関与しないのはもちろん、天皇の信仰ですら「かれの個人的な問題」だと言う訳ですから、副島のサバサバした個人主義的宗教観は本当に徹底していますね。
副島自身は「いい年をして、どんな宗教的信念の影響もいささかなりとも受けていない」無神論者であり、「本気で宗教というものに期待するところが」なく、「本性からして無関心あるいは無信心」な人だと思いますが、副島のような宗教観を持った人は明治政府の高官に相当多かったのではないかと思います。
「政府高官の娘たちの多くがプロテスタントを受け入れて」いて、それを親の政府高官たちが許容していたのは、宗教など極めて軽いもので、個人の趣味みたいなものだから、各自が好きなようにやればいいのだ、といった認識を前提にしていますね。
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中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』(その17)

2020-01-24 | 渡辺京二『逝きし世の面影』と宣教師ニコライ
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 1月24日(金)10時29分38秒

続きです。(p235)

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 プロテスタンチズムが日本人には「一番都合がいい」のではないかという予想は、ニコライの日記にくりかえし現われる。
 「日本人はきわめて皮相的で、浮気で、真剣ではない。その意味ではプロテスタントがかれらに合っている。……きょう、副島〔種臣。ニコライの友人だった〕に、<日本にはどの信仰が入ると、あなたは見ているか>と尋ねた。かれは<自分のことは別として、他の連中はプロテスタントだろうと言っている。役人たちはみなそう言っている。身分の高い人々の娘がたくさんプロテスタントになった。教師たちが実に大勢来ておるからな>と言った。副島のことばによれば、ユニタリアンも日本へどんどん入りこんでくるだろうという」(一八八九年一月二日)
 「何百人もの外国人宣教師が日本のあらゆる町に、津々浦々に広がっている。外国人だらけだ。かれらはいたるところで文明と実利性と上昇志向の魅力をふりまいている」(一八八九年八月一六日)
 ここに、正教布教の困難と苦しさがあった。ニコライは宗教を伝えたかったのに、日本人は文明と上昇志向の魅力に惹かれていた。
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副島種臣の発言は些か奇矯な感じもするので、『宣教師ニコライの全日記 第2巻』を確認したところ、次のような内容です。(p237)

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一八八八年一二月二一日(一八八九年一月二日)、水曜

 上野の例のお気に入りの二つの並木道を散歩しながら決心した。今度は大聖堂の周りに塀をめぐらそう。神学校の校舎のほうはしばらく待とう。なぜならば、古くはなったがまだ手狭というわけではないからだ。【中略】
 神は日本にどのような運命を定めておいでなのだろう。正教の日本であろうか。それとも他会派の日本であろうか。それを誰が知ろう。日本は物質的で卑小だ。外見には飛びつくが、外見をとれば、数百人の宣教師や男女の教師がいて、文明のあらゆる魅力を備えた他会派のほうに分がある。正教にできることはただ、自分たちの内面的な力、内面的な説得力、内面的な強固さを確信させることだけだ。深く究明し、体験してみて初めて信心を起こそうというのだから。こんな教えに耳を貸そうという者がいるだろうか。これが問題だ。日本人というのはほんとうに皮相的でせっかちで軽薄だ。その意味ではプロテスタントが連中には似合っている。だが、果たして神を前にして、かれらには、プロテスタントと呼ばれるこの腐臭を発しつつある死体を抱かされている程度の取り柄しかないのだろうか。この死体はプロテスタントの昨今の印刷物(Japan Mail─この軽蔑すべき召使ら)のなかでなんという悪臭を放っていることだろう。いったいまだ何人の人々が、bishop Williams〔聖公会の監督ウィリアムズ〕や Bickeit〔Bickersteth?〕等々と言った連中に騙されなければならないのか。そして騙された当の連中が、今度は別の連中を騙し、愚かにしているのだ。
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段落の途中ですが、いったんここで切ります。
ニコライは「上野の例のお気に入りの二つの並木道」がよほど好きだったようで、日記に頻繁に登場します。
1月2日の次に記されている1月10日の記事では「朝上野の、わたしの話し相手であるわたしの並木道を散歩」といった具合に、並木道を擬人化しているほどです。
ま、それはともかく、「プロテスタントと呼ばれるこの腐臭を発しつつある死体」といった表現はあまりに強烈で、ちょっとびっくりしますね。
そして、この後に副島種臣が登場します。

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わたしはきょう副島に訊いてみた。「あなたのお考えでは、どんな信仰が日本に合っていますか」。「わたし自身のことは別にして、─と彼は答えた─他の人たちの言うところによれば、プロテスタントです。官吏はみなそういっています。政府高官の娘たちの多くがプロテスタントを受け入れています。教師もたくさんいます」。いやはや、なんということだ。そんな理屈があるものか。「官吏」と「娘たち」によって日本がプロテスタントの国になると決められるなんて。もし、こうした連中が決めるというなら、日本などもはや哀れむにも値しない。副島の言によれば、ユニテリアニズムがきわめて強く浸透しているのだそうだ。(このことはきのう長沢がユニテリアンの徳川公爵のところでの晩餐会の話をした時にも言っていた。)と言うのもアメリカ人教師ナートと四〇人の客人がいたからだ。長沢の話だと、ナートのところにはもう上流階級の中から四〇人もの改宗者がいる。徳川はもうユニテリアニズムを受け入れ、洗礼名も「イマヌイル」というのだそうだ。(やがては心霊術も浸透することだろう。副島はヨーロッパでベネトとかいう人物のところで、この信仰とそのからくりに蒙を啓かれた津田某のことを話してくれた。)不幸な日本、一日も早く正教を選ばねば。悪魔の弟子たちがみなで寄ってたかってその肉体に食い入り、その体液を吸い取り、毒で汚染してしまうだろう。……主よ、この国に哀れみを。この苦い杯からこの国を救いたまえ。もし、この国がこの苦い杯を首尾よく免れたなら、この国をしてなによりもまず、あなたの唯一の救済的真理の光によって、毒と闇から癒したまえ。至純なるあなたの母とあなたのすべての聖人の祈りによって、この国の上に平安を賜らんことを。
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副島種臣は1828年生まれなので、1836年生まれのニコライより八歳年上、1889年1月時点では61歳ですね。
1887年に宮中顧問官、翌1888年に枢密顧問官になっています。
副島は1月14日の記事にも登場するので、そちらも見てから少し検討したいと思います。
なお、ユニテリアンになったという「徳川公爵」は德川家達のことです。

德川家達(1863~1940)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E9%81%94
コメント
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