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中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』(その8)

2020-01-08 | 渡辺京二『逝きし世の面影』と宣教師ニコライ
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 1月 8日(水)10時15分21秒

前回投稿で紹介したニコライの1889年9月12日の日記では、「他会派と比較して、正教の宣教団はどうしてこれほどまでに成功をおさめているのでしょう。宣教師は二人しかいないし、資金も少ないというのに、一万七〇〇〇人もの信徒がいるなんて!」と驚く聖公会のロンズデールに対し、ニコライは自信たっぷり、上から目線で対応していますが、そうかといってニコライが正教会の現状に満足していたかというと、そんなことはありません。
ニコライのもとには全国各地の信徒から様々な要望・相談・トラブル報告が毎日毎日、高波のように押し寄せており、日記にはその一つ一つについての対処が詳細に記され、ついでに口には出せない不平不満・困惑・激怒が山のように記されています。
ロンズデールについて記した9月12日の直前、9月5日にはその典型のような記事があります。(第2巻、p274以下)

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一八八九年八月二四日(九月五日)、木曜。

 憂鬱だ、気が滅入る。身の置きどころがないほどだ。日本広しといえども、わたしほど苦しんでいる者はいないだろう。日本人にはだれにでも、きちんと決まった為すべきことがあり、外国の宣教師もみな、自分の仲間を持っている。だから、仮に悲しいことがあったとしても、それをお互い分かち合い、荷を軽くすることができる。だが、わたしはいつまでたっても一人だ。悩みや悲しみや重い心を分かち合うべき友がいない。なのに、為すべきことはとりとめもなく、それが今どこまで進んでいるのか、そこから何が生まれるのか、さっぱりわからない。良い兆候があると幸せだが、よからぬ兆候だと地獄の苦しみだ。そして為すべきことは際限がなく、何が為されたのか皆目わからず、いくら考えても、いくら努力しても、始まりの礎が据えられたとすら言うことができない。
 神よ、あなたに仕える人々はどこにいるのでしょうか。聖職者も伝教者も一人としてまともな者はおりません。一人として慰めになる者はおりません。新妻神父すら凡庸で、なにをやらせても埒が明かない。人の上に立つ指導者としては役に立たない。生徒たちも無能でお粗末だ。われわれの学校に潜り込んでくるのは、どこにも行き場のない連中ばかりだ。だから、あの手の連中に期待することなどできはしない。ロシア人についても言うべき言葉もない。空っぽだ。
 それなのに大聖堂の建設は進み、まもなく完成するだろう。だが、そこでだれが祈るというのだろう。こんなものを造るなんて、正教にとって恥ではないのか。だが、そうだとすれば、なぜこれまで万事うまくいってきたのだろう。果たしてこれは神のご助力というよりは、試練ではないのか。だが、それはだれに対する? わたしが鞭打たれるいわれはない。そうでなくともわたしは全身鞭打たれているのであり、正教会にしても、まだ侮辱され足りないのだろうか。しかし、主よ、この僕〔しもべ〕を完膚なきまでに打ち据えるとは、むごすぎではありませんか、なんの慰めも与えぬままに、いつまでもいつまでも打ち据え続けるとは。おお、神よ、なんという苦しみでしょうか。これから先二〇年も地獄の苦しみが続くのでしょうか。
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わはは。
「日本広しといえども、わたしほど苦しんでいる者はいないだろう」以下、陰気な記述が延々と続きますが、ニコライが接していた聖職者・伝教者は、敬愛するニコライが自分たちを「一人としてまともな者はおりません。一人として慰めになる者はおりません」などと記していたとは思いもよらなかったでしょうし、また、神学校の生徒たちも、自分たちが「無能でお粗末だ。われわれの学校に潜り込んでくるのは、どこにも行き場のない連中ばかりだ。だから、あの手の連中に期待することなどできはしない」などと評価されていたとは夢にも思わなかったでしょうね。
ただまあ、ニコライは日記をストレス解消の手段としており、こうして日記に不満をぶちまけることで気分転換を図っていたようです。
プロテスタントへの悪口雑言・罵詈讒謗も、殆ど名人芸の域に達していて、けっこう笑えますね。
例えば同じ年の1月25日の日記を見ると、

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一八八九年一月一三日(二五日)、金曜。

 プロテスタントは冗談でなく、どうやら日本で三万人にも達しようとしているらしい。皆新聞でこのことを自慢している。三年ほど前にはわが方の半分くらいしかいなかったものだが、いまやわれわれの二倍に増えてしまった。というのは、われわれには全部で一万六〇〇〇人しかいないからだ。しかしながら、この比較対象も、プロテスタントには外国人の男女の宣教師だけでも三〇〇人もいるということを勘案すれば、連中にとってそう自慢できることではない。われわれには全部で三人、しかもたった三ヵ月前に赴任してきたセルギイを入れての話だ。とは言え、プロテスタントがこれからもどんどん増え、飛んだり跳ねたりふざけたりしながら、われわれを追い越して行くだろうということは、疑いない。連中はまったく放蕩息子たちのように、生みの両親のもとを嬉々として遠くはなれ、遺産とそれを思うがままに蕩尽する自由とを手に持っていることで有頂天になっている。かれらはキリスト教の自由をなんと能天気に解釈し、これをなんと無邪気に利用しようとしていることか。この国のプロテスタントのキリスト教徒たちは、キリスト教との血縁を時々は思い出す宣教師たちがこの地にもたらしたプロテスタント的放埓さだけでは足りずに、おれたちは外国人の教師たちがわれわれに示す仕来りや形式のような、どんな規則もいらない、などと喚いている。哀れな連中だ。天なる父によって与えられた自由の財宝を、連中はなんと無分別に浪費していることか! 連中は自由を勝手気ままと履き違え、そのことによって自分たちを惨めな存在にしている。自由というのは則〔のり〕の定める限界の中での、妨げるもののない運動であり生活だ。この限界から逸脱することは自由を失うことを意味する。魚はおのれの自然の力たる水の中にあって初めて自由であり幸せなのだ。しかし、魚がそうすることが自由だという言い分のもとに、岸に跳ね上がってしまったら、自分にとって固有でない、それゆえに自分の運動を圧迫し、束縛し、その命をだんだん苦しいものにし、そしてやがてはその命を奪ってしまうような自然の力の中に落ちるになってしまうだろう。
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といった具合です。(第2巻、p244)
これで1月25日の記録の四分の一程度ですが、このあたりでやめておきます。
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