投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 1月 4日(土)10時32分35秒
前回引用した部分に続けて、長縄氏は次のように述べます。(p14)
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このことは日本の正教会が東北地方という、近代化から取り残された地域に主たる基盤を見いだしていたということと無関係ではない。
正教会と東北地方の結び付きは、教会そのものの歴史の始まりにさかのぼる。ニコライがはじめて日本の土を踏んだのは、一八六一年六月、函館でのことであったが、この地はやがて新政府軍と幕府軍の最後の決戦場となるところでもあった。そして敗北することになるこの幕府軍に主力として加わった仙台と南部の藩士の中から、ニコライの初期の弟子たちの多くが生まれたのである。正教会がその伝道活動の根拠を東北地方、特に宮城県と岩手県に見いだしてきたのは、そのような経緯による。現に今日、正教会が擁する教会五十余りのうち、十八の教会がこの地に集中しているということからも、正教会と東北地方の結び付きの強さをうかがうことができるだろう。
しかるに、東北地方というのは近代化から大きく取り残された地域であり、近代に入っても幾度となく飢饉に苦しまねばならないほどに貧しい農業地帯の一つであった。もっとも、白河のような繊維工業の栄えた町に正教会が信徒を得ていたという事実はあるにしても、この町の産業も明治の半ばごろには衰退して行ったのである。概して、東北地方には大規模な近代産業が興る基盤がなかったということができる。ということはつまり、正教会は将来の「ブルジョワジー」をその信徒とする可能性を持たなかったということを意味している。
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うーむ。
長縄氏は十九世紀のロシア思想、特にゲルツェンなどが専門の人なので日本近代史に関する知識が乏しいのは仕方ありませんが、それにしても、このあたりの記述は東北地方への偏見がひどすぎるのではないですかね。
「近代に入っても幾度となく飢饉に苦しまねばならないほどに貧しい農業地帯」とありますが、江戸時代はともかく、「飢饉」といえるような事態はせいぜい昭和初期に限定されますね。
白河の「産業も明治の半ばごろには衰退して行った」も統計的な数字の裏づけがあるのか。
長縄光男(1941生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%B8%84%E5%85%89%E7%94%B7
疑問は多々ありますが、もう少し長縄氏の主張を見てみます。(p15)
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もっとも、教勢がはかばかしくなかったのは決して正教会だけではなく、新教各派とても正教会に比較してそれほど目ざましく優勢であったわけではない。その意味でウェーバー・テーゼを日本にそのままあてはめるのは正しくないという指摘にも、十分な根拠があるといわねばならないだろう。しかし、各会派が獲得した信徒の数とは別に、社会に対して思想的に影響力を持つ信仰者を輩出したという点では、正教会がプロテスタントやカトリックの教会に大きく遅れをとっていることは、明白な事実でもある。この事実は正教会がその教義の故に、明治という時代が求めていた課題に十分適合していなかったという主張の根拠となりうるだろう。
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うーむ。
長縄氏が未だに素朴な「ウェーバー・テーゼ」の信奉者であることはちょっと驚きですが、それはさて措き、「社会に対して思想的に影響力を持つ信仰者を輩出したという点では、正教会がプロテスタントやカトリックの教会に大きく遅れをとっている」もどうなのか、という感じがします。
私が思うに、長縄氏は日本のキリスト教の極めて狭い世界の中での正教会の位置付けに拘りすぎているような感じがします。
長縄氏は、
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今日カトリックの信徒は四〇万と言われ、プロテスタントは六〇万といわれている中で、正教会は何と数千、多く見積もっても一万人の信徒を擁するに過ぎない弱小教団になってしまった。これは一体どうしてなのか、この原因を考えるのがこの序論の趣旨である。
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と言われますが(p8)、自由な布教が可能になってから百五十年を経た現在になっても、日本のキリスト教全体がカトリックとプロテスタント、そしてロシア正教を合計しても僅か百万程度、総人口の僅か1%という「弱小教団」であるのは「一体どうしてなのか、この原因を考えるのが」まず先ですね。
歴史の極めて浅い新宗教系の団体にも、キリスト教人口の総合計を遥かに超える巨大宗教団体がゴロゴロ存在する中で、何故にキリスト教は全体として未だに「弱小教団」に止まっているのか。
仮に戦前は多少の束縛はあったとしても、完全な宗教活動の自由が保障された新憲法下において、キリスト教人口の比率が全く向上せず、僅か1%という、統計上の誤差よりいくらかマシ、程度の数字にずっと止まっているのは一体何故なのか。
カトリックやプロテスタントの一貫した低迷に比べれば、日露戦争時の「露探」疑惑、資金源だったロシア帝国の消滅、関東大震災によるニコライ堂の倒壊、治安維持法の下で正教会がずっとソ連との結びつきを疑われていたこと、更には戦後も冷戦の狭間にずっと置かれていたことなど、様々な悪条件の下でロシア正教が維持されたことだけでも本当のすごいことです。
前回引用した部分に続けて、長縄氏は次のように述べます。(p14)
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このことは日本の正教会が東北地方という、近代化から取り残された地域に主たる基盤を見いだしていたということと無関係ではない。
正教会と東北地方の結び付きは、教会そのものの歴史の始まりにさかのぼる。ニコライがはじめて日本の土を踏んだのは、一八六一年六月、函館でのことであったが、この地はやがて新政府軍と幕府軍の最後の決戦場となるところでもあった。そして敗北することになるこの幕府軍に主力として加わった仙台と南部の藩士の中から、ニコライの初期の弟子たちの多くが生まれたのである。正教会がその伝道活動の根拠を東北地方、特に宮城県と岩手県に見いだしてきたのは、そのような経緯による。現に今日、正教会が擁する教会五十余りのうち、十八の教会がこの地に集中しているということからも、正教会と東北地方の結び付きの強さをうかがうことができるだろう。
しかるに、東北地方というのは近代化から大きく取り残された地域であり、近代に入っても幾度となく飢饉に苦しまねばならないほどに貧しい農業地帯の一つであった。もっとも、白河のような繊維工業の栄えた町に正教会が信徒を得ていたという事実はあるにしても、この町の産業も明治の半ばごろには衰退して行ったのである。概して、東北地方には大規模な近代産業が興る基盤がなかったということができる。ということはつまり、正教会は将来の「ブルジョワジー」をその信徒とする可能性を持たなかったということを意味している。
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うーむ。
長縄氏は十九世紀のロシア思想、特にゲルツェンなどが専門の人なので日本近代史に関する知識が乏しいのは仕方ありませんが、それにしても、このあたりの記述は東北地方への偏見がひどすぎるのではないですかね。
「近代に入っても幾度となく飢饉に苦しまねばならないほどに貧しい農業地帯」とありますが、江戸時代はともかく、「飢饉」といえるような事態はせいぜい昭和初期に限定されますね。
白河の「産業も明治の半ばごろには衰退して行った」も統計的な数字の裏づけがあるのか。
長縄光男(1941生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%B8%84%E5%85%89%E7%94%B7
疑問は多々ありますが、もう少し長縄氏の主張を見てみます。(p15)
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もっとも、教勢がはかばかしくなかったのは決して正教会だけではなく、新教各派とても正教会に比較してそれほど目ざましく優勢であったわけではない。その意味でウェーバー・テーゼを日本にそのままあてはめるのは正しくないという指摘にも、十分な根拠があるといわねばならないだろう。しかし、各会派が獲得した信徒の数とは別に、社会に対して思想的に影響力を持つ信仰者を輩出したという点では、正教会がプロテスタントやカトリックの教会に大きく遅れをとっていることは、明白な事実でもある。この事実は正教会がその教義の故に、明治という時代が求めていた課題に十分適合していなかったという主張の根拠となりうるだろう。
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うーむ。
長縄氏が未だに素朴な「ウェーバー・テーゼ」の信奉者であることはちょっと驚きですが、それはさて措き、「社会に対して思想的に影響力を持つ信仰者を輩出したという点では、正教会がプロテスタントやカトリックの教会に大きく遅れをとっている」もどうなのか、という感じがします。
私が思うに、長縄氏は日本のキリスト教の極めて狭い世界の中での正教会の位置付けに拘りすぎているような感じがします。
長縄氏は、
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今日カトリックの信徒は四〇万と言われ、プロテスタントは六〇万といわれている中で、正教会は何と数千、多く見積もっても一万人の信徒を擁するに過ぎない弱小教団になってしまった。これは一体どうしてなのか、この原因を考えるのがこの序論の趣旨である。
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と言われますが(p8)、自由な布教が可能になってから百五十年を経た現在になっても、日本のキリスト教全体がカトリックとプロテスタント、そしてロシア正教を合計しても僅か百万程度、総人口の僅か1%という「弱小教団」であるのは「一体どうしてなのか、この原因を考えるのが」まず先ですね。
歴史の極めて浅い新宗教系の団体にも、キリスト教人口の総合計を遥かに超える巨大宗教団体がゴロゴロ存在する中で、何故にキリスト教は全体として未だに「弱小教団」に止まっているのか。
仮に戦前は多少の束縛はあったとしても、完全な宗教活動の自由が保障された新憲法下において、キリスト教人口の比率が全く向上せず、僅か1%という、統計上の誤差よりいくらかマシ、程度の数字にずっと止まっているのは一体何故なのか。
カトリックやプロテスタントの一貫した低迷に比べれば、日露戦争時の「露探」疑惑、資金源だったロシア帝国の消滅、関東大震災によるニコライ堂の倒壊、治安維持法の下で正教会がずっとソ連との結びつきを疑われていたこと、更には戦後も冷戦の狭間にずっと置かれていたことなど、様々な悪条件の下でロシア正教が維持されたことだけでも本当のすごいことです。