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「宗教を信ぜずと言明する人の中に却て宗教家らしい人がある」(by 三並良)

2017-05-02 | 深井智朗『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 5月 2日(火)07時47分44秒

深井智朗氏の「ベルリンの日本人と東京のドイツ人:日本におけるアドルフ・ハルナック」(『聖学院大学総合研究所紀要』No.50、2011.3)には、

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 さらにはシュミンナー〔ママ〕は門下の学生を教育するために新教神学校を設立している。この学校は小さな学校であったが、ドイツの諸大学の神学部のカリキュラムを見本とし、ドイツ語の他にも、古典語や哲学、そしてもちろん神学の諸科を教育した。三並良の『日本に於ける自由基督教と其先駆者』は普及福音教会五〇年を記念して出版されたものであるが、その中にこの神学校のカリキュラムに触れた箇所があり、聖書学や教会史は当時の宗教史学派の影響のもとに、歴史的=批判的な研究が講義され、組織神学や倫理学、宗教哲学のみならず、哲学史の講義なども充実していたことが読み取れる。たとえば後に日銀総裁となり、さらには枢密院の構成員となった深井英五はこの神学校の教育が、それ以前に受けた同志社の普通教育よりもはるかに高度なものであったことを証言している。驚くべきことに、その講義の多くはドイツ語でなされていた。そのため、この学校は小さいが、当時大変有名になり、森鴎外などはしばしば出入りしており、小説『ヰタ・セクスアリス』などにもこの学校の様子を描いている。
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とありますが(p197)、この記述はちょっと奇妙ですね。
『回顧七十年』と『人物と思想』の「独逸学風の一端」を素直に読む限り、「後に日銀総裁となり、さらには枢密院の構成員となった深井英五はこの神学校の教育が、それ以前に受けた同志社の普通教育よりもはるかに高度なものであったことを証言して」はいません。
また、深井智朗氏は「驚くべきことに、その講義の多くはドイツ語でなされていた」と書かれていますが、「独逸学風の一端」には「又学校の講義は英語で聴いたのだが、独逸人の仲間に交つて居たから、独逸文及び独逸語実習の機会を得た」とあり、明らかに事実関係に齟齬があります。
うーむ。
いろいろ細かい疑問が出てきたので、三並良の『日本に於ける自由基督教と其先駆者』に当たってみた方がよさそうですね。

なお、参照の便宜のため、『回顧七十年』の「第四章 新釈基督教」で最後に残った部分を引用しておきます。(p33以下)
これは「独逸学風の一端」の後半部分とほぼ同内容です。
三並良への言及も少しありますね。

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 新教神学校在学には右の如き副産物があつたけれども、宗教に対する根本的の見解及び基督教信仰の基礎たるべきものに就いて新たに得る所はなかつた。宗教に就いて教へられる所は、西洋哲学者の多くが、有神論に結び付けて各自の構想を表現すべく工夫したのに類するものであつた。其の間私の思想は同志社在学中に発芽せる方向に急進し、宗教に対する熱は益々冷却した。さうなつて見ると、依然基督教信者と称して在学するのは甚だ心苦しい。それで心境を告げて退学の許を乞うた。シユミーデル先生に対しては、新島先生に対する程の濃厚なる関係はないが、私の方で畏敬の念を生じ、先生の方からも私に特別の注意を向けて居たらしいので、先生の感情がどうであらうかと頗る心配した。然るに「それは惜しいことだが已むを得ない、是れからあなたはどうする積もりか」と云ふのが温情を込めた先生の挨拶であつた。「目下何も定まつた見込はありませぬ、只自ら欺くことなく境遇に応じて最善を尽して見たい」と答へたら、先生は更らに「あなたは定まつた仕事を為すべき人だ、彼此屋になつてはいけない」と訓戒した。私は心からの感謝を以て之を銘記した。
 其後三十年、独逸が通貨価値崩落によつて困窮せるとき、シユミーデル先生の慰問の為めに旧弟子等が或物を贈呈した。私も之に名を列したところが、先生から細字で書いた葉書の返事があつた。其中に「あなたは考へるたちの人だつたが、どうなつたかと思つて居た、近状を聞いて喜ぶ」と云ふ言葉があつた。接触の時間は短かく而して先生の期待に背いた所の私が此の如く先生の記憶に留まつたことは、意外でもあり、非常に嬉しかつた。其の葉書は日本銀行で受取り、机の側の手文庫に収めて置いたが、大震火災のとき焼失したのは実に惜しい。
 尚新教神学校関係の先輩中に三並良氏があつた。氏は数十年新釈基督教に終始し、病の為めに身体が不自由となつてからも、文筆を以て宗教、哲学、社会等に関する所信を発表することを死に至るまで止めなかつた。私は退学の後も長く交を続け、益を受けたことが多い。宗教を信ずる能はざることを告白したとき、氏は「宗教を信ぜずと言明する人の中に却て宗教家らしい人がある」と云つた。
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