生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

心をみつめる視点:体験の解釈:その10:幸福な日々の為の自問自答集の第4章

2014年02月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
比較文化論、比較宗教学での世界の学会で一番興味津々の研究課題が下記のものでしょう。「全知全能で愛そのものである神の愛を人は何故、感じないのか?」です。神仏の慈悲、神の愛、そのような宇宙的なサムシンググレートの愛や慈悲を或人は何故感じないのだろう、或人はびしびしと感じるのは何故だろう、という課題です。皆様はどう思いますか?答えは下記の二つです。(1)この課題を嫌い、興味を示さず、考える努力もしない人々(良い悪の問題ではありません。興味の問題です)、(2)興味を示し努力するのに、それでも生涯、分からずじまいの人々。現在、神仏の愛をひしひしと感じ、満足し、感謝している人々も沢山います。今回はこの感謝し、満足している人々の事例は除外します。まず(1)の事例の人々も、ここでは除外します。(2)の場合に焦点を当てて思索します。この(2)の思索の方法を二つに分類します。(a)科学的に探究する人々、(b)宗教学的に探究する人々、この(a)は多分、永久に分からないでしょう。科学者及びそれらしい人々はが数千年間、努力していますが、いまだ証明されていません。(b)二つあります、一つは「信じると見えてくるもの、信じると見えなくなるもの」という手法で研究するグループ、理論で考えようとするグループ、この理論で考えようとするグループも見たがりますが見えないようです。今日の結論は「神仏の愛を感じたい人は信じる以外、方法がない」という事です。神仏の愛を感じたい人は信仰の世界に入る事が条件です。信仰の世界は分析の対象にはなりますが、個人的な世界で、かつ、神仏と個人の二人だけの世界です。健全な信仰と病的な信仰という難しい心理療法がありますが、ここでは書くことは不可能です。「信じた人は幸いなり」、あなたの信仰があなたを救った」という言葉をどう思いますか?信仰の世界は超自然の世界で、かつ、神秘的な恩寵の世界ですので、それぞれの教養豊かな健全な宗教者のもとを訪問して、心行くまで質問し、信仰の世界に触れてみて下さい。信仰の世界は豊かな世界でもあり、恐ろしい世界ですので、訪問先の選択は慎重になさいませ。世界的にも通用する大学を所持し、その背景で活動している宗教家を訪問されるように私は祈っています。神仏の愛を感受する秘訣は自分の身辺に生起する森羅万象についての体験の解釈がキーワードです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:194>

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