生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

理由のない迫害を、どう受け止めたか?

2010年12月16日 | 第9章:人は何故、心を病むのか
小学校三年生の私が機嫌よく歌を歌いながら刈谷田川の土手を歩いていたら、いきなり大人が戦犯の息子、と叫びながら石をぶつけてきました。私は戦犯の息子、という意味が分からず驚き惑いましたが、恐ろしい顔をした大人が私を憎悪の眼差しでにらんでいるので逃げ出しました。何故、自分がそうされるのか、分からぬまま、学校に通っています。何となく受け入れてもらっていない自分を感じだすのに、相当時間がかかりました。段々と自分は変な少年なのかなあ、と思いましたが、葉山小学校では級長をしていたし、友達も多く、楽しい日々でしたので、周囲が変な奴らだ、と思うように知恵が出たのは小学校5年生のころでした。親にはこの気持ちを言いませんでした。子供心に多分、母を悲しませるな、と推察していたからでしょう。子供はいつの時代も自分が悪い、と思うようです。この複雑な私の心理を受け止めてくれる人は誰もいませんでした。勉強に専念し周囲の厭な子供に負けない事がその頃の私の生き甲斐だったようです。<少年少女時代の夢:360-3>:

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