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金生遺跡

2021-01-09 | Weblog
秋田でこの前みた大湯環状列石にくらべ山梨にある金生遺跡のほうが密なぶん環状とわかりやすい。
縄文時代の配石遺構や住居址群が公園として開放されている。発掘して配石し直してあるそうだから
ここがそうなら秋田の大湯の遺跡もそうなのでは? 何千年も埋もれず野ざらしのわけがない。



いまの感覚だと住居から離れたところに墓地をつくるけど、縄文人は住居のすぐ前に墓地を構えて、
祖先とのつながりを常に感じていたらしい。1万年以上も続く縄文時代の、少なくとも後期の遺跡は
そうなってる。このように家の真ん前に墓がある。ということは大湯の遺跡も墓だったのか?



日本人の心性として祖先の霊は里山に入り、お盆に下りてくる。やがて神になるというのがあるけど
いつも近くにいる縄文人の霊はそこに留まったままなのか? それとも配石が黄泉の入口なのか。


いちど埋葬して、しばらく経って霊(または神)になったら再葬していたという話もある。だから
かどうか、この配石遺構には石棺があったり石棒があったりする。



これが石館で、実際は土中にあり目印になる岩をずいぶん遠くから運んできて土の上に乗っけた。
ちょうど墓石のように。だから石棺はこのような野ざらしになっていない。



石棒があり、周囲に丸石がある。北杜市考古資料館で300円はたいて買った『祈りの風景〜北杜の
石棒と丸石〜』というパンフレットによると、石棒は男性器の象徴であり、丸石は女性器の象徴。
死者を葬り誕生を祈る祭祀の施設が金生の配石のようだ。


関連記事:   大湯環状列石

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