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歩くことが唯一の趣味ですから。

利尻島

2017-05-08 | Weblog
せっかくだから行ったことないとこへ行こうと考えすぎて、気がつくともう海の上に利尻島が見えてきた。
利尻富士のふたつ名を持つ利尻山が噴火して隆起したことで生まれた島だから丸い。細長い礼文島と
は成り立ちが違う。ちなみにこっちのほうがでかい。


利尻山のすそ野に町が点在する

稚内から見たり、礼文島から見ると、利尻島って山がぽっかり海に浮かぶように見える。ところが上陸する
と、すそ野が広い。山なんかオマケです。島の外の人には、それがわからんのです。


姫沼から利尻富士を眺めにいく

フェリーを降りたら観光バスの受付をしてたので申し込んで参加した。島1週して3300円ならリーズナブル
というか、自分で回ることなんて無理だ。


うまいこと利尻富士が見えてる

この姫沼はもともと名もなき沼だったが、大正6年に養殖のためヒメマスが放流されたとき姫沼になった。
養殖に失敗したのか、商売にならなかったのか、ヒメマスはもういない。風が強くてまっすぐ歩けないほど
だから水面にさざ波が立っているが、これで波がなければ逆さ利尻富士が映る。


まだ雪がちょっとだけ残ってる

5月の初めにしては雪解けが早いという。しかしダウンを着てちょうどいい。東京からくると季節を2か月
巻き戻したみたいに感じる。桜の開花は5月下旬らしいし、一応ダウン持ってきて正解。


宗谷バスに戻るべく駐車場へ

フェリー港から姫沼まで5分ほどだった。この先も島を時計回りに、ちょっと乗っては降り、降りては乗り、
そのたびに利尻富士を眺める。曇ったり、もやがかかると何も見えない。そんなことがないだけでも運が
よかったかも。


続いてオタトマリ沼からの眺め

いつか賞味期限をごまかして回収になった白い恋人のパッケージはここからの眺めだそうだ。真冬で白い
湖面に白い森、白い利尻富士……実際にそんな景色を見にきたら寒くて死んでまう。


またバスで利尻富士を回り込む

海岸から眺めると、すそ野の広さがわかる。利尻4景、それぞれ山のかたち違って見えたが写真にすると
そうでもない。もういい加減このくらいにしておこう。


東映のロゴを入れたくなる海

利尻島には熊がいないけど一度だけ、明治45年に北海道本島から泳いで渡ってきたヒグマが、5月24日
に利尻の島民たちに斧で撲殺された。そのときの写真を博物館で見たけど、かなり大きかった。数十kmも
海を泳いできたのに、あっけない。


流氷はこないのかなと思ったら

このあたりは暖流が流れているから流氷はこなくて、真冬でも気温がマイナス20度以下になることはない。
マイナスになるだけスゴイと思うけど、北海道本島の内陸に比べると暖かいそうだ。


振り向けば昆布の加工直売所

そういえば利尻昆布って有名だもんな。ウニは昆布を食べるから、おいしいって聞いた。昆布がなければ
禅宗の料理も貧弱な内容だったろうし、和食をユネスコが文化遺産にすることもなかったはず。


とろろ昆布を作って見せていた

まんまと昆布を買ったところで、またバスに乗る。利尻町立博物館に連れていかれる。バスを降ろされて、
しぶしぶ中を見ていく。見たらそれなりに面白かった。


はからずも利尻5景、博物館ごし

島のどこからでも利尻山が見えるから、ちょっと気を抜くと写り込んでしまう。日本百名山の1番目の山が
たしかこれで、さっき本屋さんで立ち読みしたら、海岸線から登りはじめるからゆっくり8時間かかったとか
何とか書いてあった。登るのだけは絶対いやだ。


オホーツク文化の暮らしぶり展示

これが7世紀から13世紀ぐらいの生活だというから、倭人の漁村と変わらない。網を使って魚をとったり、
ウニやアワビをとって食べた。さぞかし、うまかったろうね。


こっちは倭人のニシン漁のようす

やってることはオホーツク文化と同じだけど、違うのは自給自足じゃなくて商売のため食べきれない量の
ニシンを獲りまくるところ。一時は千石場所と呼ばれるほどの活況をなして、栄えた。


いまはもうニシンはとれません

またバスに乗ってフェリー港に戻る。10時半ぐらいにスタートして島をぐるっと1周して、13時にゴール。
帰りのフェリーは夕方だから、数時間にわたり何もすることがなかった。


帰るころには、もやがでてきた

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