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歩くことが唯一の趣味ですから。

雨の鎌倉

2023-05-04 | Weblog

コロナに勝ってないのに最近どこへ行っても人混みがすごいので、雨の日なら観光地を訪れても空いてるのでは? ことに古都など雨の日ほど風情あるのでは? と見当つけて鎌倉を雨の日に訪ねたら正解だった。人が少ないし趣があるし。

鶴岡八幡宮で人殺し僧の公暁が右大臣実朝を待ち伏せしたイチョウの樹が倒れた後、あわてて植えられた若木もひょろいなりに背が伸びてきた。まだ暗殺者が隠れるには頼りないけど、世の中が乱れて為政者が繰り返し狙われる昨今、これでいいのだ。

鶴岡八幡宮の三ノ鳥居を出て左へ曲がった突き当たりにある宝戒寺は、もともと執権の北条氏が住んだ屋敷があった場所だというので歩いてきてみた。近い。さすが裏で糸を引いて将軍をなきものにしたあと幕府の実権を握った一族だけに、源氏の象徴である八幡宮のすぐそばで睨みを効かせた。もっとも北条は平家だけど。

大正7年に建てられた石碑にこんなことが刻まれている。往時この地に北条氏の小町亭あり義時以後累代の執権おおむね皆ここに住せり。(中略)元弘3年新田義貞乱入の際灰燼に帰す。今の宝戒寺は建武2年足利尊氏が高時一族の怨魂弔祭のため北条氏の菩提寺東勝寺をこの亭の故址に再興し以ってその呼称を改めしものなり。

戦国期の兵火、江戸期の大火、明治期の廃物毀釈、大正期の震災などにより七堂伽藍ことごとく消失したのち、昭和期に再建して今日に至るという。新田義貞の鎌倉攻めの折は、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で北条高時をはじめ一族の八百七十余名が自害したと伝えられており、そこには行ったことがある。確かブログに書いたので、最後にリンクをはっておく。

いつも観光客がごった返してる小町通りも雨の日は人通りが少ない。北条氏の屋敷は小町亭といったが小町通りの小町は小町亭の小町なんだろうか。場所は近いけど小町通りに旧小町亭が面してるわけではないので何ともいえない。小町通りが八幡宮の前で直角に折れて小町亭に至るルートだったなら話が早いけども、旧小町亭(宝戒寺)の前を小町大路という小路が通ってるから、小町通りは観光客を呼び寄せるために駅前商店街があやかったのか。

雨の中を歩き回るのも何だから雨で空いてる茶店に立ち寄りパフェをしばく。甘みで脳が力を得て、せっかく人が少ない鎌倉にいるんだから大仏でもしばこうと思った。雨でも降ってなきゃ大仏なんて混むから行かない。

大仏は高さ11m、顔の縦寸が2m30cmか何かで、目が片方1mあるらしい。20年ぶりぐらいかなあ、鎌倉の大仏を見上げるの。

露座の大仏はもともと建物の中に座していたのに建物が風でふっとび、以来このように野ざらしの修行を余儀なくされている。建物の礎石がまわりに残っているという話で、この平らな石がそれかもしれない。どうも取ってつけた感じがあるから、偽装ではないかと思わなくもない。

50円払うと大仏の内部に入ることができる。プラモデルのようにパーツを組み合わせて仕上げたことが中に入るとわかる。上の方にぽっかりあいた大穴がおそらく頭部なんだろう。キャラクターを模った子供用シャンプーの容器を思い出す。

与謝野晶子の歌碑には「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」と刻まれているが、鎌倉の大仏は釈迦牟尼ではなく、阿弥陀如来なのだ。

小町通りから大仏まで歩くとそれなりに疲れるんだけど、長谷寺がすぐそこだから雨の中ついでに寄る。本尊の十一面観音は撮影禁止だけど数えると顔がちゃんと11あるし、あらためて見るとでかい。大仏同様たぶん20年ぶりぐらいに拝んだと思うが、前回の印象がほとんどない。撮影禁止だからかもしれない。

藤の花が咲いていた。しばらく眺めて立ち去り、寄り道しないで家に帰った。そしてブログを書いた。紫陽花の時期も晴れより雨の日のほうが風情ありそうだけど、雨でも混むのを見たことある。だから雨でも敬遠するだろう。

 

関連記事:  腹切りやぐら

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