散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

岩宿

2018-02-16 | Weblog
両毛線に揺られてたら岩宿という駅についた。聞いたことあるので下りてみると、岩宿遺跡への案内図が
このような額に入れられて駅舎の出口に掲げてあった。図をみて、古墳だろうと思ったけど違った。


上州名物からっ風に立ち向かう

古墳じゃなければ貝塚だろうと思ったけど、それも違った。戦前は日本に人が居住したのは縄文時代から
と考えられていて、皇紀2600年の信仰と縄文文化がどう折り合いをつけられていたのか謎だけれども、
1万年かそこら縄文人が暮らした場所に弥生人の天皇が光臨したぐらいの折り合いか。


岩宿遺跡らしい丘陵地に着いた

ところが縄文時代より早く、この列島に人が居住していた証拠がここで戦後まもなく見つかったのである。
納豆売りをしていた20歳そこそこの青年、相沢忠洋という人物が1946年、岩宿の地層から打製石器を
発見。それで日本列島にも旧石器時代があったと証明されて、歴史がくつがえった。


古墳よりすごい発見なのだった

その後の検証には、カスリーン台風(1947年)で地層が露呈したことも有利に働いたようだけれども、
占領軍に戦前の日本神話が否定されて実証的な調査がタブーでなくなったことが大きそうだ。相沢青年
の発掘に協力する大学がひとつだけ出てきた。明治大学だった。(他の大学は協力しなかった)


こういうものが続々と見つかった

明治大学の考古学研究室が発掘調査に協力したのは、1949年からだから、納豆売りの相沢青年は
ひとりで3年発掘していた。画期的なことをするのは組織ではなく個人なのだった。


向かいの穴倉に入ってみると…

平成元年、相沢氏が63歳でこの世を去るころまでに全国各地で旧石器時代の遺跡が見つかっていた。
いま生きていたら92歳になるということで、生前の相沢さんを知る人がときどきこの穴倉を訪ねてくる
そうだ。穴倉には地層が保護されている。


こんなふうに関東ローム層が…

関東ローム層とよばれる赤土は、およそ1万年より古い時代の火山の噴火によって堆積した火山灰で、
その頃の日本列島は火山活動が激しく人間が住める環境ではなかったと戦前は考えられていたという
から、今日から見ればびっくりだ。


縄文より前から俺は住んでいた

穴倉でアニメの上映が始まったので見ていたら、打製石器の槍先をじっと見つめる岩宿人が出てきた。
これを使って獲物を狩って、ギャートルズみたいなマンガ肉を食べるのだろうか?


マンモスではないのだけれど…

穴倉でいろいろ資料を見てから外に出たら、入る前に「なんだこりゃ?」と思った胸像が打製石器を
発掘した相沢青年だとわかった。


歴史を変えた納豆売り

明治大学しか協力しなかった発掘の成果がいまや公に認められて、文化庁が遺跡の保護に乗り出し
群馬県とみどり市の教育委員会も相乗りしている。お役所はいつの世もそういうものだった。


相沢氏は許可なく発掘したのに
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石仏の里 | TOP | 天神山古墳 »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | Weblog