![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/44/4ddd1e449f1406f2b617ca0fcdc6eb79.jpg)
奥州藤原氏の居館などを再現した歴史公園「えさし藤原の郷」があると聞いて、東北本線の水沢駅まで
はるばるやってきた。ホームページによると、水沢駅からバスに乗って江刺バスターミナルで降りたら
あとはタクシーにちょっと乗るだけで「えさし藤原の郷」に着くという。バスにどれくらい乗るのかは
書いてなかったが、直にタクシーで行くには経済的な負担が大きいことは想像できた。バスは約30分、
470円だった。アクセス悪……しかも1時間に1本ぐらい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/41/1e94e4ae844b04f9cedefb68e779fbc6.jpg)
あるはずのタクシー乗り場はなく、電話で呼ばないと乗れない。歩いて20分か30分ぐらいだと曖昧な
情報をバスセンターのおばちゃんから得て、それぐらいなら歩いていくことにした。バブルの残り香が
しそうな1993年オープンの歴史公園だから、それから景気が悪くなってタクシー乗り場がなくなった
に違いない。よくあることなので気にしないで歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/82/6eaca177da4a152ea1964184e60517d1.jpg)
藤原清衡の出生の地であり、平泉に移るまで住んだ江刺は大河ドラマ『炎立つ』のメインロケ地だから
ということで、その初回放送日1993年7月4日にオープンしたという。知らないなあ……昔の大河って、
7月スタートだったんだろうか? てくてく歩いていくと、木造の洋館があった。地元の人は菊田一夫
のラジオドラマ『鐘の鳴る丘』のイメージになった病院の建物ということで大切にしてるそうだけど、
知らないなあ。「鐘が鳴りますキンコンカン」は聴いたことある気もするけれど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f9/fa9899c2cf5144d45d7a9681db967bce.jpg)
さらに歩くと源義経公供養塔という幟が立ってるので、寄り道していくことにする。義経は奥州藤原氏
に匿われて結局は命を落としたとか、北へ逃げ延びたとか。江戸時代に廃寺になった重染寺に作られた
供養塔だけが今もここに残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/ab/37c084b02ecba732603d7e9314b2b83b.jpg)
歴史公園えさし藤原の郷にたどり着くまでに、鐘の鳴る丘だの義経公供養塔だの寄り道するポイントが
多くて、もう帰ってもいいかなという気分になってきた。奥州藤原氏の祖・藤原経清の寝殿造の館と、
その子の藤原清衡の寝殿造の居館が見られたらと思って来たけど、どうせ復元だし……などと迷ってる
うちに到着してしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/57/21b759d37846156603ffd781b3ca13b3.jpg)
場所が場所だけに蝦夷の暮らしも見られるかと期待したけど、そういうのはとくになくて平安時代の
貴族や豪族の暮らしが展示されている。建物は平安時代の復元なんだけど、戦国時代や幕末のドラマ
のロケ地に使われることが多いらしくて、みちのくハリウッドと称している。みちのくハリウッドと
いうよりも、みちのく太秦という感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/4f/0e75bb2da9d62eb369799a88021789b1.jpg)
大河ドラマは毎年のようにロケをしにきていることがわかった。ぜんぜん知らなかった。『龍馬伝』
も、『平清盛』も、『軍師官兵衛』も、『おんな城主直虎』も、『真田丸』も、『麒麟がくる』も。
そもそも1993年の『炎立つ』に合わせてオープンしたくらいだから、それから後の大河ドラマは、
ほとんどロケに来ていると言っても過言ではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a4/2db4833a067ac367c69172725a4ff379.jpg)
藤原経清の館は『真田丸』で穀倉として使われていた。まったく気づかなかった。というより気づく
ほうがどうかしてるんだけど、それだけでなく『麒麟がくる』でも藤原経清の館はロケ地に使われて
いて、それも一度ならず二度までも……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/36/f40bbec6a5dcc700feb6f5502e60f415.jpg)
織田信長の那古野城や斎藤道三の稲葉山城として使われていた。まったく気づかなかった。ていうか
何百年も時代が違うのに、よくごまかしたな大河ドラマ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ca/fe28f7ce22ff4f35805b9ad5ea266082.jpg)
見覚えがあるかどうか、寝殿造の建物だった。寝殿造といえば平安貴族が寒さに凍えて暮らしていた
イメージがあり、十二単を着ざるを得なかったのも寒さゆえだそうだけど、どうして寒いかというと
天井板がなかったから。そう聞いている。いい機会なので確認してみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/b3/40e2f6274aeaab7e91246d70638df8e8.jpg)
あっ、本当だ! 屋根はあるけど天井板がない! これじゃ寒かろう。火の気もわずかだし十二単
ぐらい重ね着しないと身が持たなかったのも納得できる。はるばる江刺に来てよかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/1a/a55cd68745d4e455356e75535fea3d1c.jpg)
平泉に移る前に藤原清衡が住んでいた館も、『真田丸』のロケ地になっていた。武田勝頼の新府城
に火をつけるシーンで使われたという。全焼しなくてよかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ea/5ecc0cc5a28e6e6591c9a174f208ffb7.jpg)
こんな建物、こちらも寝殿造。なんか大河ドラマって、時代考証ちゃんとしてると言われてるけど
嘘ばかりだということがわかった。はるばる江刺に来てよかった。歩いた甲斐があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/19/f3389ae72e078358b537eaf1923e4ba2.jpg)
関連記事: 岐阜
はるばるやってきた。ホームページによると、水沢駅からバスに乗って江刺バスターミナルで降りたら
あとはタクシーにちょっと乗るだけで「えさし藤原の郷」に着くという。バスにどれくらい乗るのかは
書いてなかったが、直にタクシーで行くには経済的な負担が大きいことは想像できた。バスは約30分、
470円だった。アクセス悪……しかも1時間に1本ぐらい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/41/1e94e4ae844b04f9cedefb68e779fbc6.jpg)
あるはずのタクシー乗り場はなく、電話で呼ばないと乗れない。歩いて20分か30分ぐらいだと曖昧な
情報をバスセンターのおばちゃんから得て、それぐらいなら歩いていくことにした。バブルの残り香が
しそうな1993年オープンの歴史公園だから、それから景気が悪くなってタクシー乗り場がなくなった
に違いない。よくあることなので気にしないで歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/82/6eaca177da4a152ea1964184e60517d1.jpg)
藤原清衡の出生の地であり、平泉に移るまで住んだ江刺は大河ドラマ『炎立つ』のメインロケ地だから
ということで、その初回放送日1993年7月4日にオープンしたという。知らないなあ……昔の大河って、
7月スタートだったんだろうか? てくてく歩いていくと、木造の洋館があった。地元の人は菊田一夫
のラジオドラマ『鐘の鳴る丘』のイメージになった病院の建物ということで大切にしてるそうだけど、
知らないなあ。「鐘が鳴りますキンコンカン」は聴いたことある気もするけれど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f9/fa9899c2cf5144d45d7a9681db967bce.jpg)
さらに歩くと源義経公供養塔という幟が立ってるので、寄り道していくことにする。義経は奥州藤原氏
に匿われて結局は命を落としたとか、北へ逃げ延びたとか。江戸時代に廃寺になった重染寺に作られた
供養塔だけが今もここに残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/ab/37c084b02ecba732603d7e9314b2b83b.jpg)
歴史公園えさし藤原の郷にたどり着くまでに、鐘の鳴る丘だの義経公供養塔だの寄り道するポイントが
多くて、もう帰ってもいいかなという気分になってきた。奥州藤原氏の祖・藤原経清の寝殿造の館と、
その子の藤原清衡の寝殿造の居館が見られたらと思って来たけど、どうせ復元だし……などと迷ってる
うちに到着してしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/57/21b759d37846156603ffd781b3ca13b3.jpg)
場所が場所だけに蝦夷の暮らしも見られるかと期待したけど、そういうのはとくになくて平安時代の
貴族や豪族の暮らしが展示されている。建物は平安時代の復元なんだけど、戦国時代や幕末のドラマ
のロケ地に使われることが多いらしくて、みちのくハリウッドと称している。みちのくハリウッドと
いうよりも、みちのく太秦という感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/4f/0e75bb2da9d62eb369799a88021789b1.jpg)
大河ドラマは毎年のようにロケをしにきていることがわかった。ぜんぜん知らなかった。『龍馬伝』
も、『平清盛』も、『軍師官兵衛』も、『おんな城主直虎』も、『真田丸』も、『麒麟がくる』も。
そもそも1993年の『炎立つ』に合わせてオープンしたくらいだから、それから後の大河ドラマは、
ほとんどロケに来ていると言っても過言ではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a4/2db4833a067ac367c69172725a4ff379.jpg)
藤原経清の館は『真田丸』で穀倉として使われていた。まったく気づかなかった。というより気づく
ほうがどうかしてるんだけど、それだけでなく『麒麟がくる』でも藤原経清の館はロケ地に使われて
いて、それも一度ならず二度までも……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/36/f40bbec6a5dcc700feb6f5502e60f415.jpg)
織田信長の那古野城や斎藤道三の稲葉山城として使われていた。まったく気づかなかった。ていうか
何百年も時代が違うのに、よくごまかしたな大河ドラマ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ca/fe28f7ce22ff4f35805b9ad5ea266082.jpg)
見覚えがあるかどうか、寝殿造の建物だった。寝殿造といえば平安貴族が寒さに凍えて暮らしていた
イメージがあり、十二単を着ざるを得なかったのも寒さゆえだそうだけど、どうして寒いかというと
天井板がなかったから。そう聞いている。いい機会なので確認してみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/b3/40e2f6274aeaab7e91246d70638df8e8.jpg)
あっ、本当だ! 屋根はあるけど天井板がない! これじゃ寒かろう。火の気もわずかだし十二単
ぐらい重ね着しないと身が持たなかったのも納得できる。はるばる江刺に来てよかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/1a/a55cd68745d4e455356e75535fea3d1c.jpg)
平泉に移る前に藤原清衡が住んでいた館も、『真田丸』のロケ地になっていた。武田勝頼の新府城
に火をつけるシーンで使われたという。全焼しなくてよかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ea/5ecc0cc5a28e6e6591c9a174f208ffb7.jpg)
こんな建物、こちらも寝殿造。なんか大河ドラマって、時代考証ちゃんとしてると言われてるけど
嘘ばかりだということがわかった。はるばる江刺に来てよかった。歩いた甲斐があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/19/f3389ae72e078358b537eaf1923e4ba2.jpg)
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