散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

えさし藤原の郷

2020-12-20 | Weblog
奥州藤原氏の居館などを再現した歴史公園「えさし藤原の郷」があると聞いて、東北本線の水沢駅まで
はるばるやってきた。ホームページによると、水沢駅からバスに乗って江刺バスターミナルで降りたら
あとはタクシーにちょっと乗るだけで「えさし藤原の郷」に着くという。バスにどれくらい乗るのかは
書いてなかったが、直にタクシーで行くには経済的な負担が大きいことは想像できた。バスは約30分、
470円だった。アクセス悪……しかも1時間に1本ぐらい。



あるはずのタクシー乗り場はなく、電話で呼ばないと乗れない。歩いて20分か30分ぐらいだと曖昧な
情報をバスセンターのおばちゃんから得て、それぐらいなら歩いていくことにした。バブルの残り香が
しそうな1993年オープンの歴史公園だから、それから景気が悪くなってタクシー乗り場がなくなった
に違いない。よくあることなので気にしないで歩く。



藤原清衡の出生の地であり、平泉に移るまで住んだ江刺は大河ドラマ『炎立つ』のメインロケ地だから
ということで、その初回放送日1993年7月4日にオープンしたという。知らないなあ……昔の大河って、
7月スタートだったんだろうか? てくてく歩いていくと、木造の洋館があった。地元の人は菊田一夫
のラジオドラマ『鐘の鳴る丘』のイメージになった病院の建物ということで大切にしてるそうだけど、
知らないなあ。「鐘が鳴りますキンコンカン」は聴いたことある気もするけれど。



さらに歩くと源義経公供養塔という幟が立ってるので、寄り道していくことにする。義経は奥州藤原氏
に匿われて結局は命を落としたとか、北へ逃げ延びたとか。江戸時代に廃寺になった重染寺に作られた
供養塔だけが今もここに残っている。



歴史公園えさし藤原の郷にたどり着くまでに、鐘の鳴る丘だの義経公供養塔だの寄り道するポイントが
多くて、もう帰ってもいいかなという気分になってきた。奥州藤原氏の祖・藤原経清の寝殿造の館と、
その子の藤原清衡の寝殿造の居館が見られたらと思って来たけど、どうせ復元だし……などと迷ってる
うちに到着してしまった。



場所が場所だけに蝦夷の暮らしも見られるかと期待したけど、そういうのはとくになくて平安時代の
貴族や豪族の暮らしが展示されている。建物は平安時代の復元なんだけど、戦国時代や幕末のドラマ
のロケ地に使われることが多いらしくて、みちのくハリウッドと称している。みちのくハリウッドと
いうよりも、みちのく太秦という感じ。



大河ドラマは毎年のようにロケをしにきていることがわかった。ぜんぜん知らなかった。『龍馬伝』
も、『平清盛』も、『軍師官兵衛』も、『おんな城主直虎』も、『真田丸』も、『麒麟がくる』も。
そもそも1993年の『炎立つ』に合わせてオープンしたくらいだから、それから後の大河ドラマは、
ほとんどロケに来ていると言っても過言ではない。



藤原経清の館は『真田丸』で穀倉として使われていた。まったく気づかなかった。というより気づく
ほうがどうかしてるんだけど、それだけでなく『麒麟がくる』でも藤原経清の館はロケ地に使われて
いて、それも一度ならず二度までも……



織田信長の那古野城や斎藤道三の稲葉山城として使われていた。まったく気づかなかった。ていうか
何百年も時代が違うのに、よくごまかしたな大河ドラマ。



見覚えがあるかどうか、寝殿造の建物だった。寝殿造といえば平安貴族が寒さに凍えて暮らしていた
イメージがあり、十二単を着ざるを得なかったのも寒さゆえだそうだけど、どうして寒いかというと
天井板がなかったから。そう聞いている。いい機会なので確認してみる。



あっ、本当だ! 屋根はあるけど天井板がない! これじゃ寒かろう。火の気もわずかだし十二単
ぐらい重ね着しないと身が持たなかったのも納得できる。はるばる江刺に来てよかった。



平泉に移る前に藤原清衡が住んでいた館も、『真田丸』のロケ地になっていた。武田勝頼の新府城
に火をつけるシーンで使われたという。全焼しなくてよかった。



こんな建物、こちらも寝殿造。なんか大河ドラマって、時代考証ちゃんとしてると言われてるけど
嘘ばかりだということがわかった。はるばる江刺に来てよかった。歩いた甲斐があった。




関連記事:   岐阜


Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新河岸 | TOP | 大湯環状列石 »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | Weblog