![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/4a/edddd80f42ca7ed1e8063c34672bcfae.jpg)
小江戸と呼ばれる(呼ばせてる)川越が、どうして小江戸なのかというと川越舟運で
江戸と結ばれていたから。蔵の町は上げ下ろしする荷を保管するために形作られた。
そこで荷を上げ下ろした河岸の跡を見にきた。川越から農作物を江戸に運んだ舟は、
帰りに江戸から人糞を運んで肥料にしたという。その上げ下ろし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/46/ccd0647b37eb893e226b626c5a395e01.jpg)
上新河岸、下新河岸、牛子、扇、寺尾の5河岸に問屋が軒を並べる物流の拠点だった。
毎月1・3・6・8がつく日(つまり月12回)早船が朝10時ごろ出航して、次の日の
午前中に江戸に着いた。1日がかりだったわけだ。運賃は荷物が銀3匁、人が金1朱。
川越街道を歩くより、舟で運ばれたほうが安楽だから、一時は宿屋や旅籠屋の商売が
上がったりになったほど舟運が栄えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/8c/b90b966194f65d39534add99c96933e5.jpg)
こんな舟で一昼夜、雑魚寝するぐらいなら歩いたほうが安楽なのではないかと思うが、
コロナも三密もない時代、金1朱で江戸まで運ばれる人がこんなにいた。何用あって
おのぼりさんになったのだろう? 電車や自動車が便利になったら舟運を利用する人、
いなくなった。東武東上線の新河岸駅から、旭橋のたもとまで散歩した。
関連記事: 佐原
江戸と結ばれていたから。蔵の町は上げ下ろしする荷を保管するために形作られた。
そこで荷を上げ下ろした河岸の跡を見にきた。川越から農作物を江戸に運んだ舟は、
帰りに江戸から人糞を運んで肥料にしたという。その上げ下ろし。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/46/ccd0647b37eb893e226b626c5a395e01.jpg)
上新河岸、下新河岸、牛子、扇、寺尾の5河岸に問屋が軒を並べる物流の拠点だった。
毎月1・3・6・8がつく日(つまり月12回)早船が朝10時ごろ出航して、次の日の
午前中に江戸に着いた。1日がかりだったわけだ。運賃は荷物が銀3匁、人が金1朱。
川越街道を歩くより、舟で運ばれたほうが安楽だから、一時は宿屋や旅籠屋の商売が
上がったりになったほど舟運が栄えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/8c/b90b966194f65d39534add99c96933e5.jpg)
こんな舟で一昼夜、雑魚寝するぐらいなら歩いたほうが安楽なのではないかと思うが、
コロナも三密もない時代、金1朱で江戸まで運ばれる人がこんなにいた。何用あって
おのぼりさんになったのだろう? 電車や自動車が便利になったら舟運を利用する人、
いなくなった。東武東上線の新河岸駅から、旭橋のたもとまで散歩した。
関連記事: 佐原
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます