散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

新河岸

2020-12-13 | Weblog
小江戸と呼ばれる(呼ばせてる)川越が、どうして小江戸なのかというと川越舟運で
江戸と結ばれていたから。蔵の町は上げ下ろしする荷を保管するために形作られた。
そこで荷を上げ下ろした河岸の跡を見にきた。川越から農作物を江戸に運んだ舟は、
帰りに江戸から人糞を運んで肥料にしたという。その上げ下ろし。



上新河岸、下新河岸、牛子、扇、寺尾の5河岸に問屋が軒を並べる物流の拠点だった。
毎月1・3・6・8がつく日(つまり月12回)早船が朝10時ごろ出航して、次の日の
午前中に江戸に着いた。1日がかりだったわけだ。運賃は荷物が銀3匁、人が金1朱。
川越街道を歩くより、舟で運ばれたほうが安楽だから、一時は宿屋や旅籠屋の商売が
上がったりになったほど舟運が栄えた。



こんな舟で一昼夜、雑魚寝するぐらいなら歩いたほうが安楽なのではないかと思うが、
コロナも三密もない時代、金1朱で江戸まで運ばれる人がこんなにいた。何用あって
おのぼりさんになったのだろう? 電車や自動車が便利になったら舟運を利用する人、
いなくなった。東武東上線の新河岸駅から、旭橋のたもとまで散歩した。


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