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歩くことが唯一の趣味ですから。

氷見と伏木

2022-05-08 | Weblog

氷見というのは盲腸線の行き止まりだった。気になるので富山から高岡まで行って、盲腸線に乗り換えることにした。ところが高岡につくと、このような立札がホームで待ち構えていた。

ICカードが使えないから、いちど改札を出て切符を買わないと盲腸線に乗れない。次の列車までどれくらい時間があるか、確認すると1時間以上あった。それならと高岡駅の改札を出て、観光案内所で資料など集め、切符を買って氷見行きの列車に乗る。

氷見の駅前には何もない。そろそろ昼ごはんの時間なので、おそらく列車との接続を考えて駅前に停車している100円の周回バスに飛び乗り、ひみ番屋街という終点まで行ってみる。そこへ行けば新鮮な魚を取り揃えた飲食店がありそうに思えたから。

ひみ番屋街はこんな感じの、氷見漁港場外市場だった。道の駅でもあるようだ。帰りのバスの時間をあまり気にしなくても、氷見駅まで歩いて戻れそうに思えた。そこで今朝採れた魚だとか、干物などの加工品、お土産などを見て歩く。

せっかくなので寿司を食べる。氷見駅まで戻ったら、バスで大堺洞窟住居跡を訪ねてみようかどうしようか。大正7年(1918)日本で最初に発掘された洞窟遺跡で、6層の遺跡を発掘した結果として縄文文化と弥生文化の時間差が分かったという。それをいま改めて見るべきかどうか。

考えながら駅のほうへ歩いてたら橋の欄干にプロゴルファー猿がいた。周回バスが怪物くんのデザインだったので、そんなことではないだろうかと思ったとおり、漫画家の藤子不二雄A先生(Aは丸囲み)の生まれが氷見だという。

だから向かい側には怪物くんがいた。欄干の四隅に漫画のキャラクターがいる。バスの車窓から町を見たとき、すでにキャラクターだらけの町だと認識はしていたので、歩きながら駅のほうへ戻って確認しようと思ったのもひとつある。

忍者ハットリくん

笑ゥせえるすまん 喪黒福造

ところで大正17年に縄文時代と弥生時代の時間差がわかったということは、明治17年に東京で弥生式土器がみつかって長いあいだ縄文時代と弥生時代の関係が不明だったということか。どっちが先でどっちが後か、1か所の地層で発見されて初めて時間差が明確になったわけか。

「喪黒福造と記念撮影はどうですか。」って、バス停にでっかく書いてある。傍には喪黒福造の模型がドーン! これと記念撮影すれば、心のスキマお埋めしていただくことができるのだろうか? 

目と鼻の先に氷見市潮風ギャラリー藤子不二雄A(Aは丸囲み)アートコレクションがあり、大人200円で原画やら何やら見ることができる。ちなみに藤子・F・不二雄先生は隣の高岡市で生まれ育ったそうだから、人がマンガと聞いて思い浮かべるあれこれのかなり大きな部分は富山人の作だった。

A先生は東京は椎名町のトキワ荘2階14号室でせっせとマンガを描いたという。暖房設備が火鉢しかないとしたら、冬場はさぞかし寒かったことだろう。ラジオを聴きながら座布団にあぐらをかいてマンガを描いたのだろうか。まさか正座ってことはないだろう。

そんなこんなで時間調整しながら駅から離れた商店街のわかりにくい場所にあるバス停で13時23分発のバスを待って大堺洞窟住居跡へ行こうとしたんだけど、10分以上たってもバスが来ないから諦めて盲腸線で伏木駅まで引き返し、徒歩25分の高岡市万葉歴史館へ。(バスが15分遅れで通り過ぎるのを見かけた)

大伴家持がこよなく愛したという雨晴の風景を含めて、盲腸線(氷見線)の車窓からの眺めは風情があった。行きもそう思ったけど帰りに窓側の席を占めて写真など撮りながら、大伴家持が平城京から越中に国司として赴任した5年間に「越中万葉」の歌境を拓いたのも、なるほどそうかと納得しそうになった。

伏木は越中の国府が置かれたところだから、国司の家持はここを起点に越中を視察して回り、223首の歌を詠んだ。家持の万葉集収録歌数は全473首で、万葉集の全歌数の1割強を占めているが、そのうちの47%が越中での作だった。

国府があった場所を占める寺の門前に、大伴家持の銅像が建っていた。家持は奈良時代の人だけど、平安時代にはもう万葉仮名をどう読んだらいいか覚束なくなり、後世の人が苦労して解読したとか。あいうえお五十音図を空海が作ったというのが本当なら、そのせいで万葉仮名が読めなくなったとも。

高岡市万葉歴史館についた。一般の入館料300円なのに65歳以上の料金(ちょっと安い)で案内されそうになった。65歳以上に見えたのか、65歳以上の人しか来ないのか、どっちもか。もやもやしながら展示を見てまわる。

アマゾンで買って読んだ『越中万葉をたどる 60首で知る大伴家持がみた、越の国』(2013年3月30日初版)は、この高岡市万葉歴史館が編んだ本で、その72ページと74ページには誤植を訂正する紙の小片がきっちり「巻18」と所定の位置に手貼りしてある。今回、歴史館で売られている本も同じようになってるかどうか点検しようと思ったのに、絶版らしくて販売してなかった。

歴史館から高岡までバスで移動しようと思ったのに、土日は午後3時すぎに終バスが出てしまい、もはや乗ることが出来なかったので仕方なくまた伏木駅まで徒歩25分の道のりを戻り、盲腸線を待って高岡に移動した。バス運の悪い日だった。

 

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