特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

板ばさみ

2022-03-30 07:38:39 | 腐乱死体
東京で桜の開花が宣言されたのは、3月20日。
あれから一週間余、あちらこちらで桜がきれいに咲いている。
なのに、私の精神は、深く沈み込んだまま。
特に、この一か月余はヒドい状態。
孤独感・疲労感・虚無感・絶望感・倦怠感・緊張感・不安感・・・心の中にあるのはそんなモノばかり。
そんなモノと、元気になりたい自分との板ばさみで、苦しんでいる毎日。
「こうしてブログが書けているうちは、まだ軽症」「まだ余裕がある」という見方もできるかもしれないけど、自分の中では、かなり危ないところまできているという感覚がある。
そして、「これが“鬱病”というヤツの恐ろしさか・・・」と、今更ながらに思い知らされている。



腐乱死体現場が発生。
電話をしてきたのは高齢の男性。
知らされた住所は、郊外の街。
建物は分譲マンションで、故人所有のよう。
亡くなったのは男性の兄で、自宅での孤独死のようだった。

男性は、部屋に入って状況を確認したよう。
ただ、慌てたような様子はなし。
遺体系汚染については、「布団が少し汚れている」とだけ説明。
私は、男性の様子から、発見が早く、特段の汚染異臭もない状況を想像。
現地調査予定は、男性の都合により、その数日後となった。

しかし、間もなく、事態は急変。
その翌日、再び男性から電話がかかってきた。
用件は、「周りの人が文句を言ってきてるらしいから、急いで、何とかしてほしい!」というもの。
いまいち、その状況が飲み込めなかった私が苦情の原因を問うと「悪臭」とのこと。
更に質問を続けると、「部屋がクサいものだからベランダ側の窓を開けっぱなしにしている」という。
てっきり、現場の状況を“ライト級”だと思っていた私は、”ミドル級”に格上げ。
そして、「とにかく、できるだけ早く来てほしい!」との要請に、その日の夕方、現地に急行することにした。

到着したマンションは利便性の高い街中にあった。
多くの世帯が暮らす大規模マンションで、現場は上の階。
私は、下に到着した旨を知らせるため男性に電話。
すると、男性は、既に部屋に入っており、1Fエントランスのオートロックは開錠してくれた。

凄惨な状況なら、とても室内で待っていることはできないはず・・・
ただ、男性は、部屋にいるよう・・・
ということは、軽症なのか・・・
しかし、そんな中で、苦情をよせる近隣住人・・・
一体、現場は、どういう状況なのか・・・
「酷い? 酷くない?」「クサい? クサくない?」
整合しない状況を怪訝に思いながら、私はエレベーターに乗り込んだ。

「著しい」とまではいかないものの、玄関を開けると、私の鼻は、妙な悪臭を感知。
男性が市販の消臭芳香剤を手当たり次第に撒いたようで、腐乱死体臭とそのニオイが混ざり、妙に不快なニオイに。
併せて、その液剤によって床は濡れた状態。
それでも、男性は、スリッパも出してくれず、私は、仕方なく、濡れた廊下を靴下のまま爪先立ちで奥へと進んだ。

「ここなんです・・・」と、男性が指さした和室を見ると、そこには、「いかにも」といった具合の、“汚腐団”が敷かれ、“汚妖服”が放置されたまま。
当然、相応の悪臭も発生しており、少な目ではあったもののウジも発生。
こんな状態で窓を開けっぱなしにすれば、悪臭が外に漏れるのは当たり前で、周辺の部屋から苦情かくるのも当たり前。
慣れないクサさに窓を開けた男性の気持ちもわからなくはなかったが、やはり、それはやってはいけない。
しかも、ただの悪臭ではなく腐乱死体のニオイなのだから尚更だった。

“ポツンと一軒家”(商標侵害?)ならいざ知らず、こういう現場では、玄関や窓を開けないことは鉄則。
換気扇も回してはいけない。
言うまでもなく、その理由は、異臭を漏洩させないため。
ニオイを嗅いでしまったことが原因でノイローゼになったり、精神を病んだりしてしまう人もいる。
実際、異臭が原因で、“遺族vs近隣住民”で大揉めしたような現場はいくつもある。
だから、目に見える汚物だけでなく、目に見えないニオイも、慎重に扱ことが重要なのである。

しかし、男性は、反省するどころか、
「窓を開けようが閉めようがこっちの自由!」
「騒音や振動ならいざ知らず、そんなことまでとやかく言われる筋合いはない!」
「そんなの、マンションの規約にはないでしょ?」
といった調子。
確かに、“ヘビー級”の現場ではなかったし、外に流れているのは著しい悪臭でもなかった。
が、それは、腐乱死体臭。
身内と他人では感覚か異なるし、「鼻が我慢できても精神が我慢できない」ってこともよくある。
前記の通り、「腐乱死体臭」というヤツは、一般のゴミ臭や糞尿臭とは異なり、精神にダメージを与えやすい。
故人に対して悪意はなくても、気持ち悪いものは気持ち悪い。
「同じマンションの住人同士、お互い様の精神で我慢して下さい」なんて、とても言えるものではなかった。


異変に気づいたのは、マンションの管理人。
当初、集合ポストにチラシや郵便物がたくさん溜まり始めていることに気づいた管理人。
それを不審に思わなくもなかったが、現代は、プライバシーを重視する世の中。
余計なお節介を焼いて顰蹙を買いたくはないし、正規の職務でもない。
だから、そのまま放っておいた。
結局、高齢無職だった故人の死に気づく人はおらず、結果、その肉体は溶解しはじめるまで、放置されたのだった。

孤独死・腐乱といっても、人が一人亡くなったことに変わりはないわけで、一般的には、哀悼の意を示すのが礼儀。
遺族に、直接は文句を言いにくい。
また、反感をかったり逆恨みされたりしても困る。
結局、近隣住人は、遺族と対峙することを避け、苦情を管理人にぶつけた。
一方の管理人は、立場的に、故人の尊厳や死の重みを近隣住人に話して、文句を言わないよう諭すわけにもいかない。
管理人にとってマンション住人は“お客様”なわけで、平たくいうと、余程のことがないかぎり、「たてつけない」わけで。
しかし、そういう管理人だって、なかなか遺族には言いにくい。
で、管理人は、近隣住人の声を私から男性(遺族)に伝えてほしいと要望。
専門業者の意見なら男性も聞く耳を持つのではないかと期待されたのだった。

一口に「マンション管理人」と言っても色んな人がいる。
大半は、事務的な人。
このタイプは、可もなく不可もなく、無難に仕事をこなしている。
ありがたいことに、中には、こちらの立場を考えて親切にしてくれる人や紳士的に接してくれる人もいる。
そういう人は、物腰が柔らかく、あまり細かいことを言わず、こちらが仕事をしやすいように協力してくれる。
しかし、残念ながら、その逆の人もいる。
業者に対して、上から目線でモノを言ってくるような横柄な人だ。
最初から命令口調でタメ口をきく人も多く、イラッとくる。
ずっと前にブログにも書いたけど、私は、堪忍袋の緒を切ってしまい、マンション管理人とケンカをした現場もあった。

幸い、ここの管理人は、紳士的で親切な人。
私の話にもキチンと耳を傾けてくれ、特殊清掃に関する話題で話が核心に近づくと、
「こんなこと訊いたら失礼かもしれませんけど・・・」
と前置きした上で、私に質問。
そこには、野次馬根性や好奇心があったと思うけど、人柄の良さの方が勝っており、私にとっては、まったく許せるレベルで、
「何でも遠慮なく訊いてください」
と、快く応じることができた。

私が、
「誰しも、いつかは死ぬ」
「それが、たまたま自宅で、たまたま発見が遅れただけのこと」
「本人(故人)に悪意はない」
といった類の話をすると、管理人も大きく同意してくれた。
ただ、だからと言って、近隣に対する配慮は必要。
で、結局、私は遺族に対して、管理人は近隣住人に対して、それぞれの立場で対応することになった。

お互い、“遺族vs住人”の板ばさみになるような局面もあったが、質問してくる住人には、管理人が丁寧に応対してくれたようで、苦情等が私のところまで波及してくることはなかった。
一方、男性(遺族)の方も、聞き分けはよくなかったものの、汚れモノを撤去した後は悪臭もかなり低減したうえ消臭作業も順調にでき、周囲への問題は早々になくなった。
結局、管理人と良好に付き合えたおかげで、情報が錯綜することもなく、錯誤も誤解も発生せず、その後は、問題らしい問題は発生せず。
そうして、作業は無事に終了。

我々は、
「大変お世話になり、ありがとうございました!」
「こちらこそ」
「何かと親切にしていただいて、スムーズに仕事ができました!」
「どういたしまして・・・またのときもよろしくお願いします」
「ま、でも、こんなことは二度と起こらない方がいいですけどね・・」
「そりゃそうですけど、このマンションは、高齢で一人暮らしの人も多いし・・・人は いつ死ぬかわかりませんからね・・・」
といった言葉を笑顔で交わし、腐乱死体現場跡には似つかわしくない清々しい気分で別れたのだった。


仕事と家庭、親と配偶者、上司と部下、会社と客、本気と浮気、理性と悪性等々・・・
俗世を生きていくうえで、何かと板ばさみになることは多い。
私も、今、とある欲望と とある願望の狭間にあって、気持ちが揺れ動いている。
欲望は自分次第でどうにでもなるが、いつまでも満たされることはなさそう。
一方、願望は、自分次第でどうにかなるものではないけど、実現すれば大いに満たされるかもしれない。
どちらに軸足を置いた方がいいか、どちらに置くべきか、迷い悩んでいる。

ある意味、“生きる”ということは、生と死の板ばさみになっている状態なのかもしれない。
更に、そこにある、欲望と願望の板ばさみになり、上記のような俗世の板ばさみになり、喜怒哀楽、泣き笑いの中で右往左往し七転八倒する。
時に、非常に苦しい状態に陥る。
それが、人間が生まれ持つ“罪過”であり“業”であるのか・・・
残念ながら、私は、「死」というものの他に、ここから抜け出す方法を思いつかない。

私は、このブログを書くにあたり、「読んでくれる人に生きる勇気を与えている」なんて勘違いはしていないつもり。
ただ、その根底に「生きろ!」というメッセージを流しているつもりはある。
自分が、どんなに弱く、どんなに愚かであっても、そんなことは顧みず。
それが今、何とも窮屈で息苦しい毎日にあって熱量を失いつつある・・・
やっとの思いで一日を生きて残るのは、強い疲労感と重い虚無感のみ。
「助けてくれ!」と、このところ、毎日のように、心がうめくような始末なのである。

「余計なことを考えるのはよせ!」「もう、それ以上考えるな!」
と、気分が沈むたびに自分に言い聞かせる。
が、自分の心は、そう簡単に言うことをきかない。
考えても仕方がないこと、余計な考えが、どうしても頭を過ってしまい苦悩してしまう。

ただ、そう遠くないうちに死なせてもらえる日がくる・・・
そう遠くないうちに死ななきゃならない日がくる・・・
それで、この世のことは全部おしまい。
すべては過ぎ去り、すべてから解放される。
苦しかろうが楽しかろうが、それまで、バカになって一日一日を生きるしかないか・・・

「バカになれ!」
「そうだよな?」
「それでいいんだよな?」
もともとバカだからこんなことになっているクセに、私は、自分にそう言って、後悔の昨日と不安の明日の板ばさみになっての苦しみを、少しでもごまかそうとしているのである。



-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社

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