気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

きのうの朝日歌壇

2007-08-13 01:23:25 | 朝日歌壇
さみだれや去年(こぞ)昏睡のわが妻をホスピス棟へ移したるころ
(東大和市 板坂壽一)

忘れたい忘れられないことがありぱちんぱちんと爪深く切る
(枚方市 小島節子)

昨日(きそ)の地震(ない)過ぎてもどりし日常ともどらぬ日常とわかちしは何
(上越市 三浦礼子)

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一首目。さみだれの季節になると、去年の今ごろは・・・と奥様をホスピスに移したことを思い出す作者。おそらく奥様はもう亡くなられたのだろう。ひとりひとりが季節の移り変わりの中に、その人だけの思いでを持っている。昏睡であってもあのころはまだ生きていてくれたという思い出。

二首目。忘れたくても忘れられないようなことがあると、つい爪を切る動作も乱暴になって、ぱちんぱちんと荒く切ってしまう。深く爪を切ってもどうにもならないし、作者も頭ではわかっているのに、ちょっとした動作の心のすさびが出てしまう。だれもが思い当たるような仕草を持ってきて、読む人を共感させる。

三首目。地震のあと、戻った日常生活と戻らないもの。その微妙な区別が、なんだろうと自ら問い直している。四句目は「もどらぬ日常」として「と」は要らないように思う。その分、一字あけにするとリズムが良くなるんじゃないだろうか。

画像はゆりの木。季節の花300さんのサイトからお借りしています。


夏雲彦 

2007-08-11 21:27:07 | きょうの一首
あをばしる総門岳の稜線を夏雲彦の渡りゆくみゆ
(大辻隆弘 夏空彦 砂子屋書房)

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きょうも猛暑日だった。コンクリートが熱せられて、玉子を落とすとジュッと目玉焼きが出来そうな熱さ。そんな日の空を見上げると雲がぽかりぽかりと浮かんでいる。いかにも夏の雲。今年は夏の空を見るたびに『夏空彦』という言葉が頭に浮かぶ。たとえば、ビールの名前にも使えそうなうまいネーミングだ。

この空を夏空彦と呼びしより入道雲はをとこなりけり
(近藤かすみ)

雑之歌

2007-08-10 01:20:07 | きょうの一首
階段の下から三段目に夕日たまるむすめふたりが居たはずなのに
(小池光 雑之歌 歌壇8月号)

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むすめさんは、それぞれ就職や結婚で家を出られたのだろうか。ときどき小池さんの歌に登場する二人のむすめさん。なんやかんやと言っているうちに、居なくなってしまったのか。その現実は、階段の下から三段目という具体的な場所が空白となって、夕日がたまっていることで思い出される。三句目が6音で大きいが、いかにもたまっている感じがするので、それもよい。親は何気ないことで、子供の不在を思い、なんとかやっているんだろうと深く考えることから、逃げるのである。

帰省してわが家を拠点に遊びまはる娘はちひさき泣きぼくろ持つ
(近藤かすみ)

亡羊 奥田亡羊歌集

2007-08-09 00:30:54 | つれづれ
宛先も差出人もわからない叫びをひとつ預かっている

青空へ続く扉の呼び鈴を押してる俺はあいにく留守だ

ふたりとも一人ぼっちになりそうな静かな夜の梨をむく音

われを待つ妻のひとりの食卓にしぼんでいった花の数々

いいと言うのに駅のホームに立っていて俺を見送る俺とその妻

食卓の下に組まるる足のなき真昼間深く椅子をさしこむ

仕事を辞めてお前はやさしくなったなと言われておりぬ そうかも知れぬ

(奥田亡羊 亡羊 短歌研究社)

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2005年短歌研究新人賞受賞の奥田亡羊の第一歌集を読む。
京都生まれで、早稲田大学を卒業後、NHKでテレビ・ディレクターとして働くが退社。田舎暮らし、離婚も経験している。
離婚前後に詠まれた歌にこころ引かれた。仕事が忙しすぎて、離婚に至ったのだろうか。結婚生活をつづけているもう一人の自分がいるような歌がある。
独特な感覚で自分を客観視している。
佐佐木幸綱が跋文で書いているように、新しい「男歌」の可能性を感じる。それにしても、この綺麗な花の表紙は何を暗示しているのだろう。


きのうの朝日歌壇

2007-08-07 23:26:27 | 朝日歌壇
水槽を回(めぐ)るマグロを仰ぐとき笑顔ゆらゆらエイがよぎりぬ
(ひたちなか市 篠原克彦)

去年埋めし雀の墓に母子草ひとり芽生えて小さき花つく
(名古屋市 木村久子)

浅草の地下映画館異界らし「田宮二郎!」と掛け声の飛ぶ
(東京都 津和野次郎)

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一首目。私もたまたま新潟の水族館「マリンピア日本海」に行ったところで、ちょうどこういう光景を見た。エイは裏側からみると、ほんとに愛嬌のある笑顔に見える。ゆらゆらというオノマトペがややありきたりな感じもするが、わかりやすくても良いと思った。
二首目。輪廻転生を思わせるとともに、ささやかさが魅力の作品。四句目の「ひとり」の使い方が面白い。だれも手を加えていないという意味で使っているのだろう。
三首目。田宮二郎が自殺してもう何年経つかわからないが、スクリーンの中では、年をとらずいまでも二枚目のまま。浅草の地下映画館という設定も異界の雰囲気を醸し出す。「!」も効いている。

本能を刺激さるれば従順にイルカは芸を披露しつづく
(近藤かすみ)

新潟から帰宅

2007-08-07 02:53:20 | つれづれ
無事に新潟より帰って来ました。
地震なし忘れ物なし。ゴキブリ一匹発見。

新潟は、一泊目は豪華なホテルに宿泊出来て満足しました。ホテルの部屋にパソコンまでついていて、ネットに接続できました。でも、うちのメールのチェックは、うまく行きませんでした。深夜サロンとそのあとのおしゃべり会もあり、なかなか聴くことのできない話を聞いてしまいました。ふふふ。秘密です。

一日目。山田富士郎さんと小池さんとの日本海対談は、藤原さんの司会で楽しくすすみました。色紙あたらずに残念でした。
二日目は、びっしり歌会。しかも、さよならパーティの司会で緊張しまくりました。マイクで一度はしゃべっておかないと心配なので、はじめて歌の批評も挙手して言いました。
新潟まつりの影響で歌会の後半、どんどん時間が押してきて、あたふたとしているうちになんとか終了。クレームもなく、とにかく終わってほっとしました。
生沼さん、みなさま、ありがとうございました。
新潟のスタッフのみなさまお疲れさまでした。
三日目は、佐渡観光はパスして、ホテルでゆっくりして、水族館へ行きました。家族連れのお客でいっぱいでした。イルカショーやいろいろな魚の裏側も見ることが出来ました。エイの裏側は愛嬌があって、可愛いかったです。会津八一記念館は月曜日休みだったので、残念ながら見ることができませんでした。あと、歌会で知り合ったN井M子さんの趣味のお店を訪ねて、いろいろおしゃべりしました。素敵なお店でしたよ。

本当は、短歌人夏季集会歌会速報というのを、書きたかったのですが、別の歌会の作者名発表との絡みを考えて、今回はパスします。
有意義な歌会に参加できて、無事に帰宅して、ほっとしました。
私の詠草は、9票で、まあまあというところでした。高田流子さん藤原龍一郎さんに、的確なコメントをいただきました。また考え直してみます。


しじみ

2007-08-04 00:51:08 | きょうの一首
われは蜆しぐるる越後のみづに棲みひよろひよろと鳴く一個のしじみ
(山田富士郎 羚羊譚)

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短歌人会夏季集会で、新潟へ行く。
一日目の夜には、山田富士郎さんと小池さんの対談がある。山田富士郎さんの歌集を読もうと思って、アマゾンに注文したのに、在庫がないとかで手に入らなかった。邑書林の現代短歌100人20首というのが、手元にあるので、それをパラパラと見る。
山田富士郎さんは新潟県生まれで、↑の蜆の歌を見つけた。そんなにひよろひよろとした人なのだろうか。本当のところを確かめて来たい。

越後へと旅立つ朝はエビアンと歌へのおもひを鞄に詰める
(近藤かすみ)

緑内障体質

2007-08-03 00:11:59 | きょうの一首
誘因のひとつに「感動」と書きてあれば広辞苑緑内障の項をよろこぶ
(池田裕美子 水無月 短歌人8月号)

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きょうは短歌人8月号を読む。到着した日に、自分の歌の確認、編集室雁信、関西歌会メンバーの歌など、ざーっと見るが、その後はぼちぼち読み続ける。他の歌集も読むので、なかなか進まない。
今日見つけたのは、池田裕美子さんの緑内障の歌。うちにある広辞苑(電子手帳)には、感動とは無かったが、本当ならば私も嬉しい。一年半ほど前に、ちょっとしたことから、視野検査をすることになって、緑内障であることがわかった。今は、キサラタンを一日一回点眼するだけで、そんなに不自由はない。人込みの中で階段を下りるときだけ、こわいので手すりを使うようにしている。

以前、コンタクトレンズのトラブルで診てもらった眼科のお医者さまは、緑内障体質というのがあって、そういう人は音に敏感だったり、細かいことが気になったりするとおっしゃった。まさに私のことであり、その先生に敬意を払ったものだ。
歌人には、緑内障率が高いのではないかと、ひそかに思っている。

みづからのまなこに針をさせしとふ温井佐助の恋のみちゆき
(近藤かすみ)

兄国弟国

2007-08-01 00:47:24 | つれづれ
通勤のふとももに置く茄子紺の加藤治郎の歌集の重さ

歌に拠るすなはち心病みたるとおのれ蔑みゐたりし日々よ

サックスがつめたく指にくひこんで鞍馬は今日もきまぐれ時雨

二〇〇○年一月八日さびしくて兄国弟国(えくにおとくに)とふところ過ぐ

くれなゐの葡萄の舟をはこびくるゼフィロスの髭、岐(えだわか)れして

自転車の鞍のかたちは葦舟の春の水面(みなも)をくだれるかたち

(大辻隆弘 兄国 短歌新聞社)

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『兄国』の後半から好きな歌。
加藤治郎の歌集の重さという歌に、そこはかとなくライバル意識のようなものを感じる。お互いに切磋琢磨されているのだろう。歌風は治郎さんの方が、ポップで軽妙な感じがある。大辻さんは抒情的なものにこだわっておられるのだろうか。また、この時期の歌に既視感があるのは、題詠マラソンのせいだろう。