団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

舛添都知事と一般男性という分類

2016年05月10日 | Weblog

 ある女優の結婚報道の中にその女優がファックスで「一般男性」という言葉を使ったとの記事があった。私はこの「一般男性」という分類に違和感を持つ。

 “一般”を辞書で引くと「1.広く認められ成り立つこと。ごく当たり前であること㋐普遍㋑普通 2.一様であること。同様」とある。

 私は腐った政治屋と腐った芸能人と腐った宗教屋を嫌う。この連中なら自分たちを「特別な」と言い、他を「一般、その他大勢」と分けても不思議はない。身分制度があった時代なら「一般男性」と呼ばれても抵抗は感じないだろう。

 連休中、一年以上音信不通だった田舎の友人から電話をもらった。テレビを観ていたらやたらに私が今住む所の近くの町の名前が出てくるので私に電話をしたと言う。3箇月ほど入院していた。そして経営していた店を今年いっぱいで閉じる決心をしたと電話の向うで告げた。

 なぜテレビに隣町の名前が頻繁に出てくるかというと東京都知事が公用車でほぼ毎週その町にある別荘に来ていることが公私混同だと問題視されているからである。私は以前ブログでこの都知事のことを書いた。2015年10月27日投稿の『M知事』参照

 ビートたけしさんがこの件に関してコメントした。「あの人は、最初から権力者になりたくて、人の上に立ちたくて、政治家になるために政治学者になったような人だからね。庶民感覚はないやな」日本の芸能界のトップに君臨するビートたけしさんが言えることかと思うが鋭い指摘だ。私だって若い頃は野心の塊だった。権力も名声も金も欲しかった。だからそれらを手に入れた人々に対する羨望、妬みがある。私が権力を手に入れていれば、清廉潔白で済んだはずがない。自分自身の現状を受け入れるしかない。

 今年の誕生日で69歳になる私はこんなことを思う。人間だれしもそう変わりはない。食べて寝て出して生きている。子孫は精子と卵子が結合してできる。生まれて、そして死ぬ。これ以外の方法はない。どうみても人そのものに物理的機能的な基礎構造に違いはない。だからこそ多くの人は飛行機ならファーストクラスに乗りたい、ホテルならスイートに泊まりたいと思う。そういうことで他の人と差をつけたい。そうすることで自分の権力を誇示したい。他の国の人にも一目置いてもらいたいのである。違いがあるのは、後天に得た教養、感性、品位、道徳観などであろう。

  覚せい剤で逮捕された元プロ野球選手清原和博被告はかつて「オレはビシッとエエ服着て、エエもん食うて、エエ女とつき合うて、エエ車に乗りたい思てこのプロ野球の世界に入った。それに比べていまの選手は情けないわ。ぜんぜん欲があらへん!」と言っていた。私だってそうなりたかった。でもなれなくてよかったという負け惜しみもある。

  石川啄木が「友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」と詠んだ。人一倍劣等感が強い私をなだめる。もう隠居の身である。これから先、欲が私を振り回すことはないだろう。特別であることを経験せずに“ごく当たり前”に“普通”で終わる。一般男性の私を最後まで看てくれると私より一回り若い妻は言う。なにより嬉しい。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 連休の遠慮へのご褒美 | トップ | オバマ大統領と広島の原爆 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事