団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

Brother-in-law

2021年11月02日 | Weblog

  横浜に住む姉は、時々私の様子を知るために電話をくれる。姉本人が何度も大病を患ってきた。それでも私の健康を気遣ってくれる。

 

 電話で姉の夫の近況を語った。彼は九州出身である。東京の6大学の一つを卒業してアメリカの日本法人の会社に入社した。姉と知り合い結婚した。二人の子供がいる。会社が借り上げた集合住宅は、都内の交通便利な所にあった。定年退職するまでそこに住めるはずだったが、日本のバブル景気が弾けると会社が集合住宅の借り上げを中止してしまった。急遽住む家を探すことになった。横浜で集合住宅を購入して移り住んだ。定年まで会社の借り上げ住居に住む予定が狂った。子供二人が大学に通っていた。姉は仕事を見つけて働き始めた。そうして予定外の住居購入と学費を支えた。

 

 住宅購入の10年後に義兄は、60歳で定年退職した。郵便局でアルバイトを見つけて働いていた。ひょんなことから近所の約千坪の畑を任されることになった。そこは、出入りする道路がなく売却ができない畑だった。地主の女性は、その畑で野菜の栽培をしていたが、老齢で畑仕事ができなくなった。売却もできない農業もできない。義兄が引き継ぐことになった。義兄は農業をしたことがなかった。一から学んで80歳になった今でもたくさんの野菜を育てている。

 

 義兄の母親は、110歳まで元気だった。100歳を過ぎても針に糸を通して縫物をしていたという。長生きの家系なのだ。義兄が最近歯医者へ歯石を除去してもらいに行った。虫歯が1本もないそうだ。歯医者が「20歳の人の歯だ」と驚嘆したそうだ。手術を受けたこともなく、医者に行くのは健康診断の時だけだ。

 

 最近義兄が任されている畑の近くの専農家の男性から仕事を手伝って欲しいと依頼を受けた。手伝いながら農家の男性は、自分は歳をとってきていて仕事が辛いと義兄に話した。そして義兄に年齢を尋ねたという。「80歳になりました」と言うと、男性が絶句したそうだ。「エーッ、私より6歳も年上ですか!」

 

 義兄は優しい。子供達にも良い父親である。姉とも喧嘩をしたことがない。穏やかで毎日広い畑で、ひとり朝から晩まで働いている。時々郵パックで食べきれないほどの野菜を送ってくれる。すっかり体力を失くし、台所仕事もままならない姉を支えている。食器洗いも洗濯物を干すのも、文句ひとつ言わずに、やってくれるそうだ。

 

 姉が旦那さんに感謝していると涙を流す。聞いていて私は自分が恥ずかしくなる。義兄と自分を比べてしまう。でも私は自分と他人とを比較して卑下したことで、良いことは何一つなかったことを知っている。すっかり弱った姉をここまで支えてくれている義兄に感謝している。

 

 11月1日、歯医者へ妻と一緒に行った。妻が抜歯するので、ついでに私も同行して歯石を取ってもらうことにした。歯科医が言った。「この前歯、抜いたほうが…」を聞きながら義兄の虫歯が一本もないことは、いかにすごいことかと思った。大谷翔平の前に立たされた過去の自分のような気持ちになった。私は、中学の野球部で試合に出たことは一度もない。

 

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