団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

洋服のAOKI

2022年08月23日 | Weblog

  私がまだ塾を経営していた時、私の仕事着は、スーツだった。そのスーツは、すべて“北忠”という既製スーツ専門店で購入していた。まだスーツの専門店チェーンの“青山”、“AOKI”“はるやま”“コナカ”などがなかった。それらスーツ専門チェーンのさきがけのような店だった。スーツは、仕立て屋で採寸して作ってもらうのが普通の事だった。北忠は、店も大きく、当時品ぞろいが他店を圧倒していた。社長は洋服の行商から始めた苦労人だった。店の奥に事務所があった。会計したり試着するのも、その事務所だった。時々社長と話す機会があった。経理を担当していた奥さんが、お茶を出してくれた。

 社長は、自分が、いかにしてここまでになったのかを話すのが好きだった。話の中に「…長野市…AOKI…」が頻繁に出て来た。私は、当時、長野市のことをあまり知らなかった。北忠の社長は、どうやらAOKIを、自分のライバルとみなしているようだった。「絶対AOKIには負けない」と豪語していた。そしてついに長野市に北忠を出店した。その少し前に私が北忠でスーツを選んでいた時、違う所で接客していた社長が、大きな声で「離婚されたんだって」と私に向かって言った。あまりの無礼さに私は、憤慨した。それ以来北忠でスーツを買うのをやめた。その後、北忠が倒産したことをニュースで知った。一方AOKIは、あれよあれよという間に、全国展開を始めていた。長野発症の事業で全国制覇した数少ない会社となった。

 2022年のオリンピック・パラリンピックでAOKIは、公式スポンサーになり、公式ライセンス商品を販売した。これはAOKIの創業者青木拡憲会長の夢だった。20代に1964年の東京オリンピックの開会式を国立競技場で観た。その時入場行進する選手を見て、いつか自分があの制服を手がけると決意したという。それを実現したのだから凄い。しかし裏があったようだ。自分の夢の実現のために、東京五輪2020の組織委員会の理事に賄賂を渡した容疑がかけられている。

 AOKI、AOKIと騒がれる中、私は、一気に、北忠でスーツを買っていた頃に、引き戻される。AOKIの創業者青木拡憲会長は、当時、まだ長野に初めて店を出した頃であろう。北忠の社長がライバルとして戦いを挑んだ。AOKIは、全国制覇した。北忠は、消えた。AOKIでなく、北忠が全国制覇していたかもしれない。どこでどんな違いが生じたのか。世の中、何が起こるか分からない。戦後、サービス業でも、いくつものジャパンドリームが出現した。北海道の小さな家具店がニトリとなって、いまや大企業である。山口県の衣料品店が、世界に名をはせるユニクロになった。どうしても自分と比べて、首をうなだれてしまう。

 私にも夢があった。実現しなかった。人生を振り返ってみて、清廉潔白だったなんて、間違っても言えない。ただテレビ画面に映る、宗教団体、政治屋、凶悪犯罪の犯人たち、他国を武力で侵略する国やしようとしている国、今まで地球を汚し続けた結果起こった異常気象の影響による世界中で起こる災害などを、一人でポツンと観ている。どうしようもない愚かな人間の悪行の数々。私は、あと何年生きられるか分からない。少しでもテレビ画面の向こうの悪行に関わらないでいたいと願う。一人で留守番しているのが救いかもしれない。

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