団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

カットスイカ

2022年07月06日 | Weblog

  6月下旬、猛暑日が続いた。そんな暑い日に食べたくなるのが、スイカである。さっそく近所のスパーでカットスイカを買って来た。以前は丸ごと大きなスイカを買った。スイカジュースが好きなので、自分でスイカを絞ってジュースにしていた。しかし最近は、大きなスイカを買って、家まで運ぶ元気がない。売り手も、ならばとカットスイカという手をあみだした。小さなカップに細かくカットしたスイカを入れる。これは便利。重くない。最初私はこの売り方に批判的だった。今は、ありがたいと思って率先して購入している。大きな重いスイカが、嫌ならば、“小玉スイカ”にすればいいと思った。一度買って懲りた。スイカという感じがしない。スイカは、やはりでかくて重いほうがいい。

 

 スイカを育てて、上手く市販されているような立派なスイカになったのを見たことがない。幼い頃、母は、庭の畑で、何年にもわたって、スイカの種から育てた。大きくなって緑色と黒の縞模様もしっかり出た。そろそろ食べごろと、切ると、中はほぼピンク。スカスカのものもあった。私たち夫婦が、海外で暮らすようになって、休暇で夏帰ったことがある。妻の父親が、私たちの帰国に合わせて食べさせようと畑でスイカを育てた。毎日、水をやり、雑草を取り、注意深く世話をした。私たちが帰国して妻の実家に滞在した。義父は、自慢げに畑でスイカを見せてくれた。その日は暑かった。お昼過ぎ、義父は、畑から大きく育ったスイカを台所に運び、流しで冷やし始めた。いよいよ切る時が来た。義父は、そうとう自信があったのだろう。切ったスイカを置く大きな皿まで用意していた。「パカッ」と切れた。中は、薄いピンク色。義父の後ろ姿に哀愁が漂った。私たちが帰国したら食べさせてあげよう、という想いと、長い念入りな手入れや世話が、ピンクという色に吸い込まれてしまった。このように何回も長年にわたって、食べられるスイカの栽培は、難しいのだと思い知らせた。

 

 妻の海外勤務に同行して5ヵ国で暮らした。ネパール、セネガル、ユーゴスラビア、チュニジア、ロシア。どこの国にもスイカは、あった。ネパールやセネガルやチュニジアでは、町の物売りが、カットスイカを売っていた。衛生上の問題から、町のカットスイカを買って食べたことはない。常に丸ごとの大きなスイカを買った。特に赤道直下のセネガルで食べたスイカが美味かった。甘みはほとんどなかった。湿度が低く、カラカラで気温が40℃と高かった。あの気候が、スイカの味を良く感じさせたに違いない。日本のJICAの農業指導員が栽培した日本の種から育てたスイカがあった。現地の人々に不評の訳は、甘すぎて食べた後、喉が渇いて水が飲みたくなるからだった。スイカは、水代わり。楽しむものではなかった。

 

 カットスイカを買うようになる前、私は、スイカの産地や銘柄にこだわった。でもカットスイカを支持する理由は、カットスイカとして売るスイカは、産地も銘柄も関係なく、コストパフォーマンスだけなので、甘みもうすいと思うからである。私自身、だんだんセネガルの人々のように、スイカを水分の補給としか考えなくなってきているのかもしれない。

 

 母や義父の薄ピンク色のスイカを知っているから、店で買える真っ赤な果肉と真っ黒な種を持つスイカを凄いと思う。今年の夏もカットスイカで水分を補給して、乗り切ろうと思う。

 

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