団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

蛙合戦

2008年03月25日 | Weblog
 私は高校のとき、生物班と呼ばれるクラブ活動に所属した。一年後輩にM君がいた。彼は蛙や両生類に夢中になっていた。隣町に“蛙合戦”で有名な寺があった。M君は泊りがけでこの“蛙合戦”を毎年観察した。大学もわざわざこの研究を続けるために地元の国立大学に進学した。私がカナダに行ってしまった後も、人づてに彼が“蛙合戦”の研究を継続していると聞いた。

 それからすでに40年が過ぎた。先日テレビの夕方のニュースでM君が登場した。彼は現在、京都大学の教授になっていた。きっと長年続けていた研究が京都大学に認められたのだろう。ニュースは日本の天然記念物に指定されている“オオサンショウウオ”が中国から輸入され、心無い養殖家に放棄された外来種に凌駕されつつあると伝えた。そこでM教授が学生たちと調査に乗り出しした。“オオサンショウウオ”の生息する川を水中カメラで探索する。捕獲して外来種か日本種か判定する。大変な調査だった。いかにもM君むきの調査であった。 

 「継続は力なり」というけれど、まさにその良い例である。一つのことを一所懸命やれば必ず認めてくれる人がいる。M君が全国放送のニュースに登場する。ということは彼は両生類、特にオオサンショウウオの日本的権威であるという証明でもある。淡々と解説するM君を見ていてとても嬉しかった。派手で人目をひく研究ではない。

 私も何にでも興味を持つ気の多い人間である。しかし飽きやすく長続きしない性格をもっている。好奇心だけではダメなのだ。軽井沢にしばらく住んだ時、春、大きなニホンヒキガエルのメスの背にメスより小ぶりなオスが乗って、あっちにもこっちにもいたのを見ても研究対象と考えたことは一度もなかった。

 そもそも蛙合戦とは春の繁殖期におびただしい数のオスが集まり、メスを取り合うさまをいう。鮭の遡上のようでもある。サハリンで見た鮭の遡上は私には、とても切ない風景だった。一匹のメスに何匹かのオスが追いねらう。あの苦労をして、あの長い逆流を遡り、体をボロボロに傷つけ、自分の子孫を残すために一瞬にかける。目的を達成するのはたった一匹だけである。私はどうしても目的を達成できずに朽ち果てていく鮭に、自分を重ねて暗い気持ちになる。ニホンヒキガエルの蛙合戦でも一匹のメスの背中に乗ろうともの凄い数のオスが戦いを挑む。鮭と違って一瞬で決着がつかないのが非情である。一旦メスの背に乗り、有頂天になっていると、違うオスがその隙を狙ってくる。やっとメスの背に乗れたオスが他のオスに引き摺り下ろされることも多々ある。油断できない。そして引き摺り下ろされたオスに私は自分を置き換え同情する。

 やはりこれでは私は学者になどなれない。冷静な観察ができない。ひとにはそれぞれ得手不得手がある。それでこそ人間社会は面白い。 

 ふるさとの蛙合戦は始まったのだろうか。人間の若者たちの春に少し異変が起こっているようだ。早熟。少子化。結婚をしない。連続する凶悪事件。蛙や鮭やオオサンショウウオに人間の若者たちが学ぶべきことは多い。M君のテレビへの登板に元気をもらえた。M君の今後の活躍を祈る。
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