団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

クロネコヤマトの社長社員一同へ

2015年12月02日 | Weblog

  日頃クロネコヤマトの宅急便には大変お世話になっています。休日だろうが雨の日だろうが真面目に働く社員の皆さまの姿に頭が下がります。

 11月28日に私の友が肺がんのために亡くなりました。

  彼には毎年私の故郷のりんごを送っていました。今年も25日に到着するよう信州のりんご農園に手配しました。25日の夜、帰宅すると留守電が入っていました。女性の声だとわかりますが、早くて何を言っているのかほとんど聞き取れませんでした。「北陸コールセンター」と言っているのは聞き取れました。私は関東地方に住んでいるので“北陸”と聞いて何かの間違い電話かと思いました。大事な用事ならまたかけてくるだろうとそのままにしておきました。

  30日月曜日の夜帰宅すると“北陸コールセンター”からファックスが入っていました。初めて“北陸コールセンター”が貴社のものであることを知りました。東京の友に送ったりんごが“部屋番号抜け”のため配達できていないとかいてありました。調べてみると友の住所が送り状には「1-15-11-11」となっていました。実際は最後が「1105」で「05」が抜けていました。私をはじめ関わった者全員の機転も抜けていました。

  悪いことは重なります。それから数時間で友の奥さんから電話がありました。焦燥しきった普段の明るい声とはまったく違う声でした。「りんご今届きました、ありがとう。でもごめんなさい。間に合わなかった。(嗚咽)食べられなかったかもしれません。ずっと呼吸困難だったんです。でも意識ははっきりしていたからりんごを(嗚咽)見せて持たせたかったんです」私は友の死をここで初めて知りました。彼の最後のメールは「見舞いの申し出ありがとう。でも必ず元気なってこちらから会いに行くからそれまで待ってくれ」でした。

  理由は言い訳はいくらでもできます。しかし友は息を引き取りました。りんごは間に合わなかった。それが残念なのです。大した意味はないかもしれない。人一人の命はそのひとりだけのものです。友が命を絶つ前にたった数秒でもりんごを手にして欲しかった。男の意地で私に闘病姿を見せることを拒み続けました。私も臆病が故に彼のベッドに横たわる姿を見られなかった。そんな二人の気持がりんごを介して通じたかもしれないのです。

  貴社を責める気持ちはありません。ただ社長さまをはじめ、社員の皆さま方に皆さまが届けるのは商品だけでなく送り主の祈り、願い、想いも運んでいることをお伝えしたかったのです。決まった日時に敏速に注意深く配達してくださる世界に例のない貴社宅急便の使命は尊いものです。感謝しています。

  貴社の益々の発展を願っております。

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