田植えが始まった。美しい日本の光景のひとつである。区画整理された田に水が張られる。田植え機でこれまた見事に等間隔、一直線に、苗が植えつけられる。ローマ時代のオリーブ畑のオリーブの木は、全方向に12メートル間隔で植えられた。上から、横から、斜めから、どこから見ても一本の直線になる。それと日本の水田の苗の整然とした配列が、私の心の中で重なる。田植えの後、田に張られた水が澄み、晴れた三日月の夜、蛙の大合唱をバックに蛍が舞う様は絶景である。
田植えと言えば小学生、中学生の時の農繁休業を思い出す。春と秋、田植えと稲刈りに合わせて一週間の休みだった。農家の生徒以外の生徒は、割り当てられて農家へ応援に行った。今の学校では考えられない行事である。危険だ、強制だと親が騒いで許す筈が無い。今では農繁休業は、春休み、秋休みと名を変えた。意味のない休みである。農繁休業のおかげで、日本の米つくりの大部分の手順をしっかり経験できた。堆肥も素手で触われるようになった。農家の苦労を少し体験できた。その上、おいしい昼食とお金までいただけた。私の左手の、五本の指の爪のすぐ下に、稲刈り鎌の切り傷がある。薬指と小指には複数の傷がある。稲だけでなく、指まで切っていたようである。良き思い出の勲章だ。
私が留学したカナダの学校は、自給自足をめざし、大農場を併設していた。日本での農業体験が、カナダでも役立った。規模は、比べられない程大規模だった、牛、豚、鶏の世話、小麦の種まき、収穫、どんなことでも嫌がらずに挑戦できた。農繁休業で体験したことが、私の人生に、大きな影響を与えてくれた。
最近多くの人が、退職後、家庭菜園を楽しむ。私は畑、田圃を持たないので、ベランダでゼラニウムを楽しんでいる。ゼラニウムは初級者向きである。スイスの山荘の窓辺に赤と白のゼラニウムをよく見た。虫除けにもなり、冬の寒さにも夏の暑さにも耐える。
農業高校は、最近入学を志望する若者が増加して、活気が出てきたと聞く。まだまだ日本は捨てたものじゃない。