団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

セカンドライフ問題 映画『ひまわり』

2007年08月06日 | Weblog
 イタリア映画『ひまわり』の中で幾度となく大画面に映し出された見渡す限り、地平線のそのまた向こうまで続くひまわり畑は、映画の内容以上に私を打ちのめした。日本という小さな国が哀しいと肩を落とした。カナダへ十代で留学した。でかい国である。住んだアルバータ州は小麦の生産地だった。残念ながらひまわり畑は見ていない。

 最初の結婚が私自身の未熟さで失敗に終わり、二人の子供を育てた。自分の手元に子供をおいておいたら一家全滅の危機感を感じ、息子を全寮制の高校へ、娘をアメリカの友人家庭に預けた。二人を大学まで出さなければとひとり必死で働いた。

 楽しみは映画だけだった。『ひまわり』(マストロヤンニ、ソフィア・ローレン主演)は何度も観た。映画の夫婦は私自身の場合とは異なっていたけれど、なぜか深いところで共感した。

 一緒にいて当たり前の夫婦が戦争で引き裂かれ、事情が複雑に絡み、別な地で別な人間とのしがらみが生じる。一緒に暮せなくて離婚した私は、別なしがらみを頑なに拒んでいた。

 雄大なひまわり畑の一本一本が人間に見え、儚さも、哀しさも、楽しさも、幸せもその間を吹き抜ける風だと思った。ひまわりの凄さは、茎の太さにある。茎のまっすぐさにある。大輪の花を咲かせ、常に太陽に向き合い、最後に円盤状にびっしりの種をつける。

 私もひまわりのように一本立ちして揺るぎなく生きたいと思った。そして月日が経ち、縁あって再婚できた。結婚してすぐ妻が海外勤務につくことになった。私は自分の事業をたたんで主夫として同行することにした。旧ユーゴスラビアのベオグラードに3年8ヶ月暮した。そこで私はひまわり畑を見た。一人で見に行ったこともある。夫婦でも何度も見に行った。映画が現実と重なる。心奪われた忘れられない風景だ。

 さらに何百万のひまわりの咲く街道すじで、ルーマニアなどの旧ソ連圏から出稼ぎにきている金髪ホットパンツの売春婦が何人も立っているのを見た。クルマが通るたびに媚をうり、流し目を送り、長い足をさすり、自分を売り込む。この女性達もひまわりの一本なのだと思った。国際便のトラック、観光客、駐留国連軍兵士を客にして、ひまわり畑やクルマの中がホテル代わりだと聞いた。ここにも映画『ひまわり』の続編があった。
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