団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

社会問題 小さな魚

2007年08月03日 | Weblog

 日本の漁業資源が枯渇し始めている。

 懲りない国民である。食に貪欲な国民である。長期展望で国策を持てない政府である。昔、北海道にはニシン御殿が建ったほどニシンがたくさん獲れた。日本人はニシンを食べ、ニシンの卵である数の子も食べる。当然のことながらニシンが獲れなくなった。

 日本人はなぜか根こそぎにするのが好きである。漁師は底引き網、トロール漁法などの漁法をあみだし根こそぎ魚を獲り、国民は貪欲に食べつくす。刹那的とも受け取れるほど今に生きる。

 セネガルにも以前は日本の漁業会社が支社をおいて、セネガルの海で魚を獲った。セネガルの人に日本はセネガルの魚を獲りつくしたといわれたことがある。現在ではスペインのカナリア諸島に基地を移したが、そこも韓国の下請け会社に委ねていると聞いた。これではまるでアメリカが鯨油を求めて太平洋を渡り、自分達の都合で日本開国を迫ったやり方と大して変りがない。

 日本のスーパーや魚屋に行ってびっくりすることがある。どうしてこんな小さな魚を売っているのかと思うことがある。これではいけない。魚は増えるわけがない。ハタハタが、イワシが、ニシンが、サンマが、マグロが、甘ダイが、越前ガニが、毛ガニが、タラバガニが、ウナギが獲れないという。これだけ貪欲に食べ続けてよくいうよ、と言いたい。飽食、食べ放題、過食、大食い。テレビ番組がひとびとの食いつくしを煽る。


 日本人はあまり魚を食べなくなったと言われている。西洋志向で肉の消費が増えた。ところが狂牛病問題でまた魚回帰が始まった。ノルウエイは一時期漁業資源が枯渇しそうにまで漁獲高が減ったが、厳しい政府の管理、指導で急回復しているそうだ。小さい魚を獲らない。そのために網の目のサイズを変えた。これだけで漁獲量は増え、その上、規格が良いので高値で輸出できるようになった。日本へもサバ、鮭など高値で輸出されている。日本のサバは小さくなるばかりである。

 今すぐできることは、子魚を食べない、魚の卵は食べない、である。日本で獲れなければ、よそで獲って来ればよい、を続ければ、日本はそのうち世界で孤立する。中国がどうのこうのなんて言っていられない。

 日本は産業経済において、世界標準の導入に熱心である。そろそろ食料にも、特に魚に関して世界標準思考を持つときではないだろうか。日本の国民性を表す自粛という言葉は、美しい言葉である。まず団塊世代から始めよう。稚魚や魚の卵を食べるのを自粛して先ず半分にしよう。そしてさらに半分へと。きっと漁獲高を戻せる。未来のためにしばらく我慢する。絶滅だけは避けたい。だからイクラ、明太子、子持ち昆布、数の子などの魚の卵製品を食べる時は、日本の漁業の将来をよく考えてみよう。

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