団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

証人喚問と勉強ができても頭の悪い人

2018年03月29日 | Weblog

  3月27日家の前の桜は満開だった。このところの気象の不安定さを忘れさせ、春を満喫できそうな好天に恵まれた。朝、出勤する妻を駅まで車で送った。あとは夕方駅に迎えに行くまで私は自由に時間を使える。桜を追って近隣の名所といわれている所へ行こうかと思った。しかし我慢して国会での証人喚問とやらを観てみようと外出を断念した。午前参議院での2時間、午後衆議院での2時間尻が痛くなるほどテレビの前に座り続けた。国会証人喚問において答える証人と質問する議員を観察した。テレビを観ながら最近聞いたある大学教授の教育論を思い出した。

教授の教育論:人間は次の4つに分類可能

①     勉強ができて頭も良い人

②     勉強はできないけれど頭は良い人

③     勉強はできるけれど頭が悪い人

④     勉強もできないし頭も悪い人

  『「勉強もできないし頭も悪い人」の表現には問題があると思うので、いつも誤解のないようその後を少し付け加えて話をしています。先ほどのように、「勉強ができる人」とは記憶力が良く試験などで高得点を取る人(難関大学や有名大学や難しい国家試験に合格するような人)。「頭がいい人」とは、一言でいえば「気の利く人」、そして「臨機応変に物事に対応できる人」「創意工夫のできる人」「だれとでも話ができる人」などと私は定義しています。そして、勉強のできる人になることは、人はその気になれば何歳からでも可能です。しかし、頭のよい人は、大人になってはなることができないと思っています。つまり「頭の良い子」は子供の頃(一般的には中学生頃まで)の「親のしつけや生活環境」や「学校教育」によるところが大きいと思っています。つまり、コミニュケーション能力の高い子、好奇心旺盛な子、料理や包丁遣いができる子(生きる力)のある子、多くの経験や体験・・・・・、それらがすべて頭の良い人になるための必要不可欠な要件と思います。良識を備え社会で活躍できる人は、頭の良い人であることが必要だと私は思っています。ですから、中学生ごろまでの学校教育(家庭教育も含め)は極めて重要ということになるのです。偏差値の高い有名大学に入るために奔走する前に、まず「頭の良い子」を育てなければ、結局本人の夢や希望を叶え充実した人生を送らせることはできません』

  私は4時間、国会証人喚問において質疑応答する証人と議員をその教授がいう4つの型のどれなのか見極めようとした。証人は小中高から“神童”と教師たちから評される勉強ができるひとだったらしい。確かに手が震えたり、声がひっくり返ることもなく堂々と眼光鋭く答えた。なかなかの切れ者と見受けられた。議員たちの質問は、政策秘書や取り巻きとの綿密な緻密な打ち合わせや作戦に欠け、チームとしての力が発揮されていないと感じた。あきらかに党利党略の金縛りにされた個性のない質問も多かった。議員たちが国民、国民と連呼すればするほど、私はしらけた。結果は今までと同じ。5W1H(いつどこでだれが何をなぜどうやって)の何一つ証言されなかった。テレビに映った証人も議員も間違いなく「勉強ができた神童たち」である。私は②の「勉強はできないけれど頭が良い人」になりたかった。まだなれていない。頭の良い人になって、その日その日を嘘に嘘を重ねなくても平凡に暮らしたい、と4時間のテレビ放送を観終わって思った。そして昨日北朝鮮の金正恩委員長は電撃的に中国を訪問した。これだけ勉強ができた人たちが集まっている日本政府で、ここまで先を読んでいた人がいない。まさか国会対策の公文書の改ざんが忙しくて、勉強するのもう止めているのではないかと不安である。

 

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