団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

一卵性双生児

2018年03月15日 | Weblog

①     従兄弟の一卵性双生児

②     高校の同窓生にいた一卵性双生児

③     マラソンで日本新記録を出した設楽悠太選手

①      私には男の兄弟がいない。ないものねだりになるが、もし私に男の兄弟がいたらと幼いころから考えていた。従兄弟に同い年の一卵性双生児がいた。私は子供の頃“双子”の意味がわからなかった。でもそっくりな従兄弟を不思議さと羨望の入り混じった目で見ていた。そっくりで見分けがつかなかった。その双子の一方が小学校4年生の時、脳腫瘍で亡くなった。東京の慶応病院へ父と見舞いに行った。大きな手術を受けた後だった。父がインカのミイラのように骨と皮だけになり頭だけが大きかったいとこに尋ねた。「何が食べたい?」 彼は言った。「おじちゃん、スイカが食べたい」 12月だった。父は私を連れて東京のあちこちのデパートを回ってスイカを探した。今なら温室で作ったスイカを冬でも買うことができる。父はあきらめてソフトクリームを買って病院へ戻った。いとこは溶けかかったソフトクリームを口にした。「おいしい」と小さな声で言った。彼はそれから3日後に息を引き取った。残ったもう一人のいとこは20代で事故に遭い亡くなった。

②      高校の同窓生にとても優秀な一卵性双生児の兄弟がいた。二人とも剣道部で活躍し成績も良かった。二人はどこからどう見ても同じに見えた。学校祭の時、その双子の一人とアイスクリームを買って食べながら、暗幕で人の顔の見分けがつきにくい講堂へ入った。演劇部か何かの発表会だった。暗い中、一緒に講堂に入ったはずの彼が「いいな、アイスクリームか、ちょうだい」と言った。「だって一緒に買ってここへ来たじゃないか」と言った私のわきにアイスを食べながらニコニコしているもう一人がいた。二人ともそれぞれ別の国立大学の医学部に合格した。一人でだって難関大学医学部に合格するのは、大変なのに双子の二人とも合格するなんて、落ちこぼれの私には考えられない。二人とも出身大学の医学部の教授になった。あの時の暗闇の中の二人の顏と白く光ったアイスクリームが忘れられない。

③      2月25日に行われた東京マラソンで設楽悠太選手が2時間6分11秒の日本新記録をマークした。設楽悠太選手も一卵性双生児だと報道されている。男兄弟がいない私には理解しがたいがやはり兄弟として周りから比較されるらしい。設楽兄弟は二人とも駅伝、長距離走を目指したので常に結果で比べられた。今回日本新記録を樹立した悠太さんは今まで「設楽の弱い方」と言われたそうだ。それにしても日本記録を更新して報奨金として1億円を授与されたことは快挙である。

  私には一人の姉、二人の妹がいる。母はもう一人の妹のお産で死んだ。もう一人の妹も死んだ。もし無事に生まれていたら私には4人の女性きょうだいがいたことになる。泣き虫でいつも劣勢だったが、きっと更に、か弱くなっていたであろう。設楽選手のおかげで遠い記憶が戻った。切磋琢磨するライバルとしての男兄弟がいなかったのは残念だが、なんだかんだと古稀まで人生を保ってこられたことは感謝している。


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