10日(日曜日)から2泊3日のツアーで紀伊半島秘境巡りに妻と参加して昨夜12日夜10時過ぎに無事帰宅した。
旅行はもっぱらツアー会社の募集する企画に頼っている。団体行動が夫婦二人苦手だった。しかし寄る歳の波には勝てない。自分たちで企画して自家用車、列車、飛行機を使って二人だけの旅は体力的に無理だと65歳を過ぎて思い知らされた。海外旅行も無理だと3年前にやめた。旅をしたいという欲も好奇心も私は減退している。どうしても行きたいという場所も少ない。そこで自分の余生を考慮して妻がまだ行っていない、妻が行きたいという場所にツアーで参加することにしている。妻の勤めの関係で、まとまった休みを取れる時、限定である。4月から翌年の3月までの予定表で予め休めるのでツアーの申し込みはずいぶん前からできる。今回のツアーもすでに4月に申し込んであった。
ツアーなので宿も食事も期待できるものではない。今回も酷いものだった。食事は2泊とも朝夕バイキング形式だった。悪いことばかりではない。バイキング形式の時は妻に全権を委託して選び運んでもらう。貴重品が入ったバッグを見張る役目もあるが、主夫である私は妻がどんな食べ物を選び運んでくるかを見る。それは私が家で調理する上でとても参考になる。今回も妻が選んだものからいろいろ学べた。
私にとっての偉人を挙げろと言われれば、南方熊楠はその一人である。今回のツアーはまさに南方熊楠の足跡をたどるもであった。私は『南方熊楠大辞典』(松居竜伍・田村義也編 勉誠出版 9800円+税)を愛読する。紀伊半島は南方にとってホームグランドである。熊野古道、那智、高野山。今回の旅の行程に含まれている多くの地名は、私にとって初めての地でありながら旧知であるかのごとくに感じさせた。私が自分の目で見るものすべてに南方熊楠が関わり迫った。
瀞峡を船で観光した。圧倒された。断崖絶壁の岩肌に赤みがかった小さな花があちこちに咲いていた。船のガイドに尋ねると「カワサツキ」だと教えてくれた。美しさもさることながらあの絶壁に張り付くように咲く花に魅了された。昔から筏で材木を運び出していたというからには南方もここでカワサツキを見たに違いないと思うと嬉しさがこみ上げてきた。南方の植物標本にもカワサツキはあることだろう。
最終日高野山へ行った。高野山も南方熊楠にはゆかりある地である。『南方熊楠大辞典』の195ページにこんな記述がある。「生きた聖地というものは、聖と俗が混然一体となっているものであるが、熊楠の中では、この聖と俗二つの高野山が適当な折り合いを付けて一つの像を結ぶということはついになかったようである」 ヨーロッパの教会の建物やステンドグラスに気持ちが空洞にさせられるように高野山の雰囲気には圧倒された。同時に南方熊楠が感じたような一面も私の心の中に浮かんだ。私の友人が高野山へ行くと話した時、あそこはお墓のディズニーランドのような所と言ったことも実感した。
旅行中に永六輔が亡くなった。帰りの新幹線の中で、永が以前一番好きな旅はと聞かれ、「我が家への帰り道」と答えたことが思い出されジーンとわが身に沁みた。