7月7日七夕の日、東京での第二回江戸味噌文化研究会に出席した。今回は“江戸味噌&インドスパイス料理の夕べ”だという。さてどんな料理に遭えるのか。 いまだ好奇心だけは旺盛である。
家を出る時、すでに気温は30度を超えていた。勤務先に無事着いたとの妻のメールに「東京は36度を超して猛烈な暑さです。こんな日に東京に出てくること心配です。無理をせずタクシーを使ってください」とあった。
体力の低下は誰に指摘されなくても自分が一番知っている。第一回の江戸味噌文化研究会は横浜だった。会が終わったのが10時過ぎ。家に着いたのは12時を少し回っていた。夜9時過ぎると私の町に行く電車は少なくなる。乗り換えを繰り返さなければならない。20分30分と乗り換えるためにホームで待たなければならない。駅についても10時を過ぎるとバスはない。タクシーに乗るしかない。これも待たなければならない。東京のホテルに泊まることにした。以前はお金がモッタイナイと強く反対した妻も私の釣瓶落とし的老化の現実にやっと理解を示してくれ、ホテル宿泊に協力してくれた。妻も一緒に泊まることにした。職場からホテルに来て泊まり、朝ホテルから出勤する。
私は名刺を持っていない。死ぬまで今のままを通したい。私は世のいかなる経済活動にも貢献していない。常に利益を与える側であって受ける側にはいない。今回も約30名が参加していたが、会が始まる前初めて参加した人たちとの名刺交換が始まった。私は椅子に座って資料を読んでいるふりを続けた。
ホテルでは不倫のカップルに間違えられたらどうしようとドキドキだった。心配は徒労であった。受付の女性はまったく私たちに注意さえ払わなかった。昔ホテルで修行した。受付もした。先輩が言った。「夫婦かそうでないかを見分けられるようになったら、受付として一人前だ」と。そのホテルの受付女性は一人前だったのか、私に石田純一のような“不倫は文化”のオーラが皆無のどちらかである。
ホテル宿泊ということが余裕を産み、会ではじっくり会話と料理を楽しんだ。私のテーブルには3人の女性がいた。自己紹介が始まった。私は自分を「主夫」だと紹介した。3人の女性は全員「シェフ」と聞き取った。出席者のほとんどは料理に何らかの形で関わっている。その中でもシェフ料理人が多い。主夫(シュフ)をシェフと聴くのは自然の成り行きである。そのまま黙っていれば私はシェフでいられた。正直な私はよせばいいのに「シェフではなくて主夫です」と言ってしまった。一瞬時間が止まった。 間。 3人の真ん中に座っていた女性が「ああ、そっちのね」と言った。それから3人は、スパイシーなインド料理をのせたスプーンをゆっくりと口に運び始めた。
【お詫び:本来なら7月11日(月)に投稿するブログを都合により本日7月9日に掲載しました。】
尊敬する先輩は名刺に“隠居”と入れていた。大きな会社で重役まで務めた人だ。“主夫”では“隠居”ほど粋な響きはない。主夫を名乗って25年、私はこの間それこそ妻に最高の食事をと妻の専用料理人を目指してきた。たとえ単に主夫(シュフ)と言ってシェフと聴き間違えられたのであっても、内心25年の私の調理人修行が認められたようで嬉しかった。いっそのこと“シュフ・シェフ”と肩書いれた名刺を作ろうか。